…また,W.シェークスピアの作品が,悲劇性と喜劇性を同じ作品のなかで同時に示していることはよく指摘されるが,よく観察すると,それは交互におこるのではなく,喜劇的な要因が,悲劇的な相関関係のなかに深く根をおろしており,それがコントラストの効果を生みだしているのである。 18世紀にはG.E.レッシングがその著《ハンブルク演劇論》のなかで,悲喜劇の外形的な定義だけでなく,内的な意味づけを行い,深刻さが笑いを,悲しさが喜びを,あるいはその逆が達せられた場合,悲喜劇の最高の形が得られるとしている。彼の喜劇《ミンナ・フォン・バルンヘルム》はその理想に近づいている。…
…60‐65年,ブレスラウ駐留のプロイセン軍司令官の秘書を務めながら,スピノザ哲学,原始キリスト教,教父神学,古代美術など多方面の教養を身につけ,これが芸術論《ラオコオン》(1766),喜劇《ミンナ・フォン・バルンヘルム》(1767),後年の神学論文として結実。67年,初めてハンブルクに誕生した〈国民劇場〉の座付き劇評家となり,劇場は短命に終わったが,自身の体験と思索を《ハンブルク演劇論》(1767‐69)に記録し,演劇の多くの基本問題を論究。70年,ブラウンシュワイク公国の小都市ウォルフェンビュッテルの図書館長に任ぜられ,《エピグラム考》(1771),市民悲劇《エミーリア・ガロッティ》(1772)を発表後,ハンブルク時代の友人で理神論者ライマールスの遺稿を,同図書館で発見された著者不詳の文書として公刊(1774‐78)。…
※「ハンブルク演劇論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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