バロック美術(読み)バロックびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「バロック美術」の意味・わかりやすい解説

バロック美術 (バロックびじゅつ)


17

 baroquebaroccoBarockbaroque2B.baroco16barocco1718W.Weisbach︿barrocobarruecoberrueco18使

︿1817使1788︿A.C.Quatremère de Quincy︿bizarreF.Milizia1797︿181717181630

 19︿18

 201188819152︿E.Dors19453193431617203

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1630181585︿︿3

 1630︿︿︿163030N.︿︿1630

 3164818

16Cavalier d'Arpino1568-16401582︿殿Francesco Albani1578-166616001590Carlo Saraceni1579-1620Bartolomeo Manfredi1587-162021Orazio Borgianni1578-161617Dirck van Baburen1595-1624︿Pieter van Laer1599-164217

 81623-44殿使

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J.de4︿17宿

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17G.de︿162713141643殿1648︿141418殿

 14R.de PilesN.︿affetti1624︿19

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1718171717殿18

 1︿︿211722


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 調

 C.1595-1603調16G.L.F.2

 G.使1658-70姿

 184J.H. 1685-99J.A. 1755-7017殿殿

 殿1628-33L.J.H.殿

 殿S.F.F.J.H.

 I.161675-1710C.N.J.1700-21殿1705-25

 16171716J.B.J.J.L.vonPaul Decker1677-1713Matthäus Daniel Pöppelmann1662-1736殿1711-28殿

 José-Benito de Churriguera1665-1725Pedro de Ribera1683-17421722

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バロック美術」の意味・わかりやすい解説

バロック美術
ばろっくびじゅつ

17世紀初頭から18世紀前半にかけてのヨーロッパ美術の様式。バロックBaroqueの語源はポルトガル語もしくはスペイン語で「ゆがんだ形状の真珠」を意味するbarrocoに由来するといわれ、初め「不規則な」「グロテスクな」といった否定的ないしは侮蔑(ぶべつ)的な意味で、曲線を多用した装飾過剰のこの様式をよぶのに用いられた。しかし、19世紀後半以降その種の語源的意味は薄れ、今日では美術以外の他の芸術についても用いられる、客観的な時代および様式の概念となった。バロックは、ローマをキリスト教世界でもっとも美しい都市にしようとするローマ教皇の美術振興策に端を発しているため「反宗教改革の表現」とよばれ、さらに絶対王制下の豪奢(ごうしゃ)・華麗な趣味を反映するものとして「絶対主義の様式」ともいわれたことがある。いずれにせよ、端正なルネサンス美術に対して、動感に満ちた劇的表現を特色とする。

[野村太郎]

イタリアのバロック


1714()

 ()

 


オーストリアとドイツのバロック

北方のオーストリアとドイツでは、バロック建築は初めイタリア人の手で行われていたが、17世紀末以降、地元出身の設計家の活躍が始まる。ウィーンでは、聖カール・ホロメウス教会堂の設計でイタリアの伝統をもっともよく生かしたヨハン・フィッシャー・フォン・エルラハ、ロココを予見させる華麗なベルベデーレ宮とシェーンブルン宮を設計したヒルデブラントが知られる。そのほか、ヤコブ・ブランタウアー(ドナウ河畔のメルク修道院)、ペッペルマン(ドレスデンのツビンガー宮)、ゲオルク・ベール(ドレスデンの聖マリア教会)、シュリューター(ベルリン宮の設計と兵器廠(しょう)の内部装飾)、バルタザール・ノイマン(ウュルツブルクの司教宮殿)らが知られる。また後期バロックの代表作例に、アサム兄弟が自費で建立し、設計から装飾までいっさいを2人の手で行ったミュンヘンのヨハネス・ネポムク教会(1733~1735)がある。

[野村太郎]

フランドルとオランダのバロック絵画

この地方のバロックは絵画によって代表されるが、まずフランドル絵画ではルーベンスの存在がとくに重要である。彼は23歳から8年間イタリアに学び、北欧と南欧の壁を打破することに努める一方、当時およびその後アンベルス(アントウェルペン)に定住してからも、外交上の使命を帯びてヨーロッパの主要国家の王宮を訪問し、その際バロック様式の国際化に多大の貢献をした。彼がイタリア滞在中に熱心に研究したのは、古代彫刻、盛期ルネサンスの傑作(レオナルドの模写はとくに有名)、およびカラバッジョやアンニバーレ・カラッチの諸作であったが、その成果は帰国後最初に手がけたアンベルス大聖堂の板絵の祭壇画『十字架立て』に顕著に示されている。1620年以後の10年間は、ルーベンスと彼の工房のもっとも多産な時期で、ヨーロッパ諸国の教会や王宮のために、多数のドラマチックで華麗な装飾画をつくっている。なかでも有名なものが、フランス国王アンリ4世の妃マリ・ド・メディシスの生涯をたたえたパリのリュクサンブール宮の連作(現在ルーブル美術館その他蔵)で、ルーベンスは神話と寓意(ぐうい)とを動員し、色彩とフォルムの絢爛(けんらん)たる一大スペクタクルに仕上げている。彼の工房からは、優れた後継者として国際的に活躍したファン・ダイクを出した。

 オランダ絵画では、レンブラントの存在がぬきんでている。彼は生涯に一度もイタリアの地を踏んだことはなかったが、明らかにカラバッジョとの間接的な接触によって刺激されたとみなされている。30歳の作品『目をつぶされるサムソン』にみられる光の集中的な利用によるドラマの構成は、バロックの特徴的な作例だが、これは『夜警』で最高潮に達する。群像を明暗の深い奥行のなかで重層的に処理し、大画面にダイナミックな緊張感を与えた絵画史上の傑作だが、依頼主にとっては表情が影になったり部分的に隠れているこの絵は不評で、以後レンブラントの後半生を孤独に追いやった分岐点をなしたともいわれている。この時期以後、彼の絵は光に対する理想主義と形象に対する写実主義とを内面的に推し進めて、バロックの饒舌(じょうぜつ)を内的に深刻なドラマに昇華する宗教画や自画像の傑作を生んだ。

[野村太郎]

スペインのバロック


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フランスのバロック


1414

 



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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バロック美術」の意味・わかりやすい解説

バロック美術
バロックびじゅつ
Baroque art

 
16001715  

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世界大百科事典(旧版)内のバロック美術の言及

【イタリア美術】より

…画家ではピエトロ・ダ・コルトナ,A.ポッツォが,イリュージョニスティックな天井画を描いて信者を天国へと誘った。バロック美術
【18~19世紀】
 18世紀は,ベネチアが,印象主義の真の祖とも呼びうる〈ベドゥータveduta(眺望画)〉によって,現代を予告している。カナレット,F.グアルディは,外光の描写を初めて実現した。…

【ドイツ美術】より


M.I.J.B.D.殿殿
19
 1918

※「バロック美術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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