知恵蔵mini 「ペギー葉山」の解説 ペギー葉山 日本の歌手、タレント。1933年、東京都生まれ。夫は俳優の根上淳(1923-2005年)。1952年に﹁ドミノ/火の接吻﹂でデビューし、59年、NHK高知放送局の開局記念番組で歌った﹁南国土佐を後にして﹂が大ヒットを記録した。60年には米ミュージカルの名作﹁サウンド・オブ・ミュージック﹂の劇中歌に自ら日本語詞をつけた﹁ドレミの歌﹂を発表して広く人気を集めた。その他にも﹁学生時代﹂﹁ラ・ノビア﹂などヒット曲を多数発表し、NHK紅白歌合戦に計14回出場、66年には紅組司会者も務めた。また、タレントとして﹁ひらけ!ポンキッキ﹂(フジテレビ系)などの子ども向け番組にも出演して親しまれた。2004年に旭日小綬章を受章。07年から10年まで日本歌手協会で女性初の会長を務め、14年に名誉会長に就任した。その後も精力的に音楽活動を続けていたが、デビュー65周年を迎えた17年4月12日、肺炎のため死去した。享年83。 (2017-4-18) ペギー葉山 日本の女性歌手。1933年、東京・四谷生まれ。青山学院高等部を卒業し、52年﹁ドミノ/火の接吻(Kiss of fire)﹂でデビュー。54年には﹁第5回NHK紅白歌合戦﹂で紅白初登場を果たす。58年、ミュージカル﹁あなたの為に歌うジョニー﹂で芸術祭個人奨励賞を受賞。59年﹁南国土佐を後にして﹂が大ヒット。60年﹁ドレミの歌﹂を自身の訳詞で発表し、同歌の日本語スタンダードとなった。64年﹁学生時代﹂がロングセラーとなる。80年、アルバム﹁万葉の心を求めて﹂で日本レコード大賞企画賞を受賞。91年には日本レコード大賞功労賞を受賞した。93年、歌手生活40周年を迎え芸術選奨文部大臣賞を受賞。95年には紫綬褒章を、2004年に旭日小綬章を受勲。07年には社団法人日本歌手協会会長に就任した。2014年6月までのレコーディング数は約2000曲、レコード発売枚数は約200枚にのぼる。 (2014-7-3) 出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ペギー葉山」の解説 ペギー葉山 ペギー-はやま 1933- 昭和後期-平成時代の歌手。 昭和8年12月9日生まれ。昭和26年ジャズバンド渡辺弘とスターダスターズの専属歌手となり,翌年﹁ドミノ﹂でレコードデビュー。34年NHK高知放送局の開局記念でうたった﹁南国土佐を後にして﹂が大ヒット。以後﹁学生時代﹂﹁ドレミの歌﹂﹁ラ・ノビア﹂などをヒットさせる。平成5年芸術選奨文部大臣賞。19年日本歌手協会会長。夫は俳優根上淳(本名森不二夫)。東京出身。青山学院女子高等部卒。本名は森シゲ子。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例