デジタル大辞泉
「マイ」の意味・読み・例文・類語
マイ(my)
[語素]他の外来語の上に付いて、私の、私の所有する、の意を表す。「マイホーム」「マイカー」
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マイ
- 〘 造語要素 〙 ( [英語] my ) 「私の」の意。「マイホーム」「マイカー」 〔舶来語便覧(1912)〕
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マイ
Karl May
生没年:1842-1912
ドイツの冒険小説家。ザクセン地方の織工の子として生まれ,5歳まで目が見えなかった。極貧の中で苦学し教師をめざすが数度の詐欺行為による入獄のため目的を果たさず,編集者を経て作家となる。農村小説やユーモア小説を手がけたのち冒険小説に転じ,オリエントを舞台にした︽砂漠を越えて︾︵1892︶の連作やアメリカ西部を舞台にした︽ウィネトウ︾︵1893-1910︶,︽オールド・シュアハンド︾︵1894-96︶などで一躍流行作家となったが,マイ自身はそれらの地は知らなかった。高潔で自由なドイツ人キリスト教徒が冒険を通じて悪を懲らし異教徒を教化するという全物語共通の図式は,資本主義化の進行によって生活環境から失われた自己同一性への青少年の欲求を充足させるものであった。他に象徴的小説︽アルディスタンとジニスタン︾︵1902︶,自伝︽我が生涯と苦闘︾︵1910︶があり,多くの作品が映画化されている。
執筆者‥保坂 一夫
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マイ
May, Ernst
[没]1970.9.11. ハンブルク
ドイツの建築家,都市計画家。ミュンヘンで A.ティエルシ,T.フィッシャーに学び,ロンドンの R.アンウィン建築事務所に勤務。 1925~30年生地の建築技師として都市計画,集合住宅建設にたずさわり革新的なジードルンクを建設。27年に建築誌﹃ノイエ・フランクフルト﹄ Neue Frankfurtを創刊。30~34年はソ連に招かれモスクワの全体計画を担当。その後は東アフリカのナイロビ,次いでダルエスサラームへ移住して農地計画にあたり,53年ドイツへ帰国後は戦災都市の復興に従事した。
マイ
May, Karl
[生]1842.2.25. エルンストタール
[没]1912.3.30. ラーデボイル
ドイツの小説家。幼少年期は貧窮のなかで過した。インディアンの登場する北アメリカ,あるいは近東を舞台とした空想的でエキゾチックな冒険小説で人気を博した。作品はキリスト教的倫理観が一貫し,常に善が悪に勝つ結末となっている。『シルバー湖の宝』 Der Schatz im Silbersee (1894) など,ほとんどの作品が今日にいたるまでドイツ青少年の愛読書となり,多数映画化されている。
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マイ
まい
Karl May
(1842―1912)
ドイツの小説家。ドイツでもっとも多く読まれた大衆小説、少年小説作家。その発行部数は第二次世界大戦後だけでも3000万部︵いわゆるマイ・ルネサンス︶、累計では6000万部に達する︵1980現在︶。極貧の家庭に生まれ、犯罪者として前半生の十数年を獄舎で送り、出獄後33歳で初めて筆をとり、以後全集74巻に及ぶ膨大な作品を残した。このうち約3分の1は青少年向き。舞台を中近東、アメリカ西部、その他とほぼ三つに分けて冒険小説を書いた。主著は、作者が﹁私﹂の形で、アパッチの首長(しゅちょう)ウィネトゥとの友情と大西部における冒険を語った﹃ウィネトゥ﹄全三巻︵1893︶。
﹇山口四郎﹈
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出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のマイの言及
【児童文学】より
…しかし,わずかではあるが,ウォルフF.Wolf,ウィーヘルトE.Wiechertらのすぐれた作品がある。 現在ドイツは2分しているが,ケストナー以下ミューレンウェークF.MühlenwegやヘルトK.Held,シュポンゼルH.SponselやバウマンH.Baumannと歴史もの・冒険もののうまい作家がつづき,リュートゲンK.Lütgenも前代の大衆作家K.マイを顔色なからしめている。動物物語ではクナークK.KnaakやシュトイベンF.Steubenが出てレーンスH.Lönsを古くした。…
※「マイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」