改訂新版 世界大百科事典 「マフディー派」の意味・わかりやすい解説
マフディー派 (マフディーは)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…エジプト領時代から商業の中心地として栄え,スーダンの産物の集積地であった。1881年マフディー派の軍がこの地を中心に勢力を増大させ,83年エジプト・イギリス連合軍を全滅させた。おもな産物は綿花,アラビアゴムである。…
…反乱には身分・出身のいかんにかかわらず広範な住民が参加,13年間にわたりスーダン人民族意識に支えられたマフディー国家が続いた。マフディーの組織した教団,マフディー派の成員は自らをアンサールAnṣār(支持者)と称し,反乱の中核を占めた。マフディーはシャリーアの実現に向け絶対的平等を維持したが,ムハンマド・アフマドの死後(1885),反乱は内部矛盾が表面化し,98年イギリス・エジプト連合軍により鎮圧された。…
…1820年エジプトのムハンマド・アリーによって建設され,ナイル航路の港として象牙・奴隷貿易等でにぎわった。1885年ジハードを叫んで立ち上がったマフディー派の軍は,ゴードンCharles George Gordon(1833‐85)将軍の率いるイギリス軍をハルツームにせん滅し,同地を占拠したが,1898年イギリスのキッチナー将軍によって町は占領・再興されイギリス式の町並みに整備された。ゴードン将軍が戦死した元総督府は,1956年独立後は大統領府となっている。…
※「マフディー派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...
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