改訂新版 世界大百科事典 「マージャン」の意味・わかりやすい解説
マージャン (麻雀)
起源と歴史
現在の麻雀に近いものとしては,唐の中期以後にできた葉子戯︵イエツーシー︶がある。始めは竹もしくは木をうすく削って作り,後に紙に変わった。総計40枚で空文,枝花,文銭,索子,万貫の5種目からなっていた。続いて,宋の時代に誕生し明朝熹宗の天啓年間︵1621-27︶に完成したのが馬吊︵マーテイアオ︶で,これが麻雀の直接の原型といえる。4種目のうち文銭は空湯,枝花,一文から九文の11枚あり,数の多い方が弱く,他の3種はその反対に数の少ない方が弱い。索子,万貫はおのおの一から九までの9枚ずつ。十万貫は二十万から九十万貫までと,百万貫,千万貫,万万貫と続き,計11枚。総計40枚の紙牌で,一名四門ともいい,対札は1枚もない。競技のしかたは,4人に8枚ずつ配り,残り8枚がめくり札となり,強い牌で弱い牌を負かして勝ち負けを決める。その点現在の麻雀のように複雑なものではない。清朝に入って,馬吊から種類を1種減らし,それに対札ができて計60枚となったものが遊湖︵ヨウフー︶といわれ,馬吊と並んで行われた。続いて清朝の康熙︵1662-1722︶末年になると,江西紙牌︵チアンシーチーパイ︶108枚ものが現れた。種類は文子,吊子,万子,各一から九までで,同一牌が4枚ずつある。馬吊と同様,万子には水滸伝の豪傑の姿が描かれていた。遊び方は麻雀に近い組合せ方式になった。数の牌だけなので,今の麻雀よりはるかに理論的であり,運の要素も少ないが,また一面でそれが欠点ともなっていた。だいたい4人で競技するものだが,両方から選手を出して争ったともいわれている。碰︵ポン︶も刻子︵コーツ︶もなく,ただ吃︵チー︶が許されるだけで,手持ち8枚の9枚あがりか11枚持ちの12枚あがり,みな順子︵シユンツ︶ばかりで雀頭もなかった。その後,乾隆︵1735-95︶,嘉慶︵1796-1820︶の時代に枝花,千万,全無の翻牌︵フアンパイ︶の計12枚が取り入れられ総計120枚になった。この翻牌が加わったことにより刻子,碰も認められ,運の要素が増えた。麻雀の魅力はこれによって生まれたといってもよい。雀頭も取り入れられて複雑化した。最初は3人鼎座の競技であったが,牌の組合せによる点数など得点制度も生まれ,現在の麻雀の姿へと近づいた。次に,花牌︵ホアパイ︶が加わった花麻雀が1800年ころから太平天国︵1851-64︶の時代に盛んに行われ,花牌の種類は一時非常に多くなり,牌の数も150枚くらいになった。 現在のような麻雀が確立されたのは光緒︵1875-1908︶初年,浙江省寧波︵ニンポー︶において秀才陳魚門の力によるとされている。はじめて東,南,西,北の風牌16枚が取り入れられ,その他の花牌は整理され,残っても飾物にすぎず計136枚になった。用語を簡素化し,基本ルールを制定し,運と技術の調和がはかられた。この寧波を中心に,新しい名称︿麻雀﹀で全中国に普及した。麻雀の名は,馬吊が一名麻将︵マーチアン︶ともいったので,発音はそのままとし,︿将﹀を︿雀﹀の字に変えたのは,スズメが翼を広げ頭をあげたかっこうが麻雀のあがった姿に似ていることに由来するという。また竹骨製の牌を使用するため,まぜるときの音がスズメのさえずりに似ているのだという説もある。中,発,白は人生を哲学的に簡素に表現したものという。中は馬吊の枝花に相当し,的中の中で当たること,試験に合格する,つまり勉強時代である。紅の色で書くのは紅が若さを現しているからで紅中︵ホンチユン︶とも呼ぶ。発は馬吊の千万貫にあたり,発財ともいわれ,財を積むこと,つまり富豪時代。色の緑はさかんのさま,緑発︵リユーフアー︶ともいう。白は馬吊の空湯で,虚無とか潔白をあらわす。中,発,白で青,壮,老の3時期の意を示す。東,南,西,北は花牌の東王,南王,西王,北王から王の字を取り除いたもの。また花麻雀時代の公侯将相,江村斜影などの花牌も風牌と同様に使われていた。このことでもわかるように,従来の回り方︵右手回り︶は変えずにただ東南西北の順序をそのままあてはめただけと思われ,そのために南と北が地図上の位置と反対になった。筒子︵トンツ︶は馬吊,江西紙牌の文子で穴あき銭を,索子︵スオツ︶は馬吊,江西紙牌の吊子で穴あき銭を通した紐を,万子︵ワンツ︶は馬吊の万貫,江西紙牌の万子で穴あき銭を数えることを指している。日本への伝来と普及
樺太︵サハリン︶大泊中学教頭名川彦作は,1905年中国四川省資州師範学堂へ英語教師として招かれ5年後帰国,その際持ち帰った麻雀牌で同僚たちを集め麻雀を教えた。これが日本伝来第1号というのが定説となっている。麻雀が確立してまもないにもかかわらず,すでに中国奥地にまで行き渡っていたことがわかる。欧米へ伝わったのは日本より少しはやく,大都会には麻雀教師の看板が多く見られるほど,一時サロンの花形となっていたが,用語が漢字であることや複雑な点数計算などの制約のためか,流行も長くは続かなかった。一方,大正年間日本からの留学生のうちには,留学先または往復の船中で麻雀を覚えて帰国した者が多かった。中国からの帰国者にも麻雀にたんのうしている者が多く,日本では教師格だった。1924年には︽婦人画報︾︽サンデー毎日︾などが特別欄を設けて宣伝したため,昭和の初めには第1次ブームが起きた。同好会員組織によるクラブの元祖は,中国より帰任した大倉組社員麻生雀仙が1918年東京赤坂につくった︿雀仙会﹀である。24年には文士たちによく利用された︿プランタン﹀が牛込神楽坂に,菊池寛,久米正雄などによる︿湘南クラブ﹀が鎌倉にでき,また関西では26年大阪北浜の中国料理店広珍園に陸軍大尉熱海三郎,全徳信治らにより︿珍園クラブ﹀が誕生した。29年ごろ東京銀座に進出した空閑緑による︿東京クラブ﹀などは,営業的にも成功した草分けといえよう。当時非常に不況だったことがかえって麻雀の発展をうながした。以後日本独特の営業麻雀クラブが全国各地に続出したが,第2次大戦が近づくにつれしだいに衰えていった。しかし戦後復活し,再びブームを呼んで今日に及んでいる。29年に日本麻雀連盟が誕生︵初代総裁菊池寛︶,統一標準ルールの制定,段位制確立,賭性排除,マナーの重視など純正な麻雀の育成および普及に務めている。また麻雀解説の先駆的な書として消閑生︽麻雀詳解︾︵1917,上海発行︶,井上紅梅︽麻雀の取方︾︵1924,上海発行︶,中村徳三郎︽麻雀競技法︾︵大連発行︶などがあり,林茂光︽麻雀競技法︾︵1924︶も有名である。競技方法
まず卓,牌,得点棒,さいころなどの用具が必要で,4人の競技のため卓は方形となっている。1975年前後から洗牌,積牌,配牌などの手間を省く目的で自動式卓が出現した。牌は同じ牌4枚の34種,計136枚︵図1︶。象牙と竹の製品を最高とし,そのほか竹骨製,プラスチック製などがあり,紙の牌は少ない。さいころは2個。牌の表面には文字や図柄が彫られ,牌の種類を示している。4人の競技者は,それぞれ2枚1組︵雀頭︶と3枚ずつ4組の組合せ︵図2︶のものを,最初配られた手牌13枚から最後14枚にして完成すること︵和了︵ホーラ︶︶を競う。これを規定回数行い,その総得点の多少により勝敗を決める。競技の準備は,右手回りに東南西北順に座席を決め,裏返しのまま牌をかきまぜ︵洗牌︶,各自が17枚ずつ2段に正方形の井桁に積む。次に最初の親を決める。すべて2個のさいころの2度振りにより決める。その目の数え方はつねに右手回り︵時計回りの反対︶。牌の取り方は東南西北各家の順に反対の左手回り。4枚ずつ取り,以下順次繰り返し12枚とし,次に親は2枚取り計14枚,子は1枚取り計13枚の手牌とする。競技は親が手牌から1枚捨てることにより開始。以下東南西北の順序に従い取牌,捨牌の繰返しで進められる。東家以外だれかが和了すればこの局は終わり,次局は右手回りに逐次移り,正式には東南西北各風を4回りして競技は終わる。これを一荘︵イーチヨワン︶といい,競技の基本的節目となる︵図3︶。現在,中国と日本の大きな違いといえば,中国では放銃でも3人払い,日本は1人で払うところで,それぞれにおもしろさがあり,戦法も違ってくる。 次に点数計算法は,和了基本点20点,それに牌の種類,和了の形によって加点される。翻制度があり,役によって何翻かされ,これが競技者の目標ともなり,魅力の対象となっている。役の基本的なものは門前清(メンチヱンチン)(栄和(ロンホー),摸和(モーホー)),平和(ピンホー),対々和(トイトイホー),混一色(ホンイーソー),混老頭(ホンラオトウ),断么九(トワンヤオチユウ),全帯么(チユワンタイヤオ),三暗刻(サンアンコー),一気通貫(イーチートンクワン),小三元(シアオサンユワン),海底撈月(ハイテイーラオユエ),搶槓(チアンカン),嶺上開花(リンシヤンカイホア),清一色(チンイーソー),それに満貫(マンクアン)役として天和(テイエンホー),地和(テイーホー),大三元(ターサンユワン),四喜和(スーシーホー),字一色(ツーイーソー),清老頭(チンラオトウ),四暗刻(スーアンコー),十三么九(シーサンヤオチユウ),九連宝灯(チユウリエンパオトン)などがある。以上はすべて日本麻雀連盟ルールによったが,そのほか一翻しばり,リーチ(立直),七対子(チートイツ),一並高(イーピンカオ),三色同順(サンシヤイトンシユン),ドラ牌など各種のルールがくふうされている。しかしこれはどうしても興味本位となり,運の要素が増え,本来の麻雀としての良さが損なわれるおそれはある。
マージャンのコラム・用語解説
【麻雀の基本用語】
[麻雀牌の種類]
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[競技進行用語]
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﹇和︵あが︶り用語﹈
一上聴︵イーシヤンテイン︶ 聴牌の1手前。 三家和︵サンチアホー︶ ひとりが捨てた牌で他の3人が同時に栄和すること。 双碰︵シユアンポン︶ 対子2組での聴牌形。 錯和︵ツオホー︶ 誤ったあがり。罰あり。 聴牌︵テインパイ︶ 和了の1歩手前の形。 振聴︵チエンテイン︶ 自分が捨てた牌での聴牌。 放銃︵フアンチヨン︶ 牌を打って他人を和了させること。 和了︵ホーラ︶ あがりのこと。摸和と栄和あり。 摸和︵モーホー︶ 自摸した牌でのあがり。 栄和︵ロンホー︶ 他人の捨て牌でのあがり。日本製。 副底︵フーテイー︶ 和了の基礎の点。現行20点。昔は10点。執筆者:手塚 晴雄
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