メルセン条約(読み)メルセンジョウヤク

デジタル大辞泉 「メルセン条約」の意味・読み・例文・類語

メルセン‐じょうやく〔‐デウヤク〕【メルセン条約】

870年、オランダのメルセン(Mersen)で、東フランク王ルードウィヒが弟の西フランクシャルルと結んだ条約。855年に死去した長兄ロタールの遺領中部フランクの分割を定めたもので、これによってドイツフランス分離がほぼ確定した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「メルセン条約」の意味・読み・例文・類語

メルセン‐じょうやく‥デウヤク【メルセン条約】

  1. ( メルセンはMersen ) 八七〇年、オランダのメルセンでフランク王国カール大帝の遺領分割を定めた条約。大帝の死後、八四三年のベルダン条約で三分割された王国を再分割したもの。長兄ロタール一世の死に伴い、遺領の中部フランクの東半分が東フランク王ルートウィヒに、西半分が西フランク王シャルルに分割、これによって、今日のドイツ・フランスの分離が明確化された。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「メルセン条約」の意味・わかりやすい解説

メルセン条約 (メルセンじょうやく)


8702西21︿28692287082西2沿8793

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メルセン条約」の意味・わかりやすい解説

メルセン条約
めるせんじょうやく


870西843128692西1867西2870西Meerssen沿西8803西



出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「メルセン条約」の意味・わかりやすい解説

メルセン条約【メルセンじょうやく】

 
8702西2Mersen1
西  

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メルセン条約」の意味・わかりやすい解説

メルセン条約
メルセンじょうやく
Vertrag von Mersen(Meersen); Traité de Mersen

870年8月8/9日,ネーデルラントのメルセンで,西フランクのカルル2世 (禿頭王)と東フランクのルートウィヒ2世 (ドイツ王)との間で結ばれた条約。ベルダン条約で3分割されたフランク王国領を再び分割した。西ローマ皇帝ロタール1世の死により,その領土のうち,中フランクの東半分を東フランクのルートウィヒ2世が,また西半分を西フランクのカルル2世が獲得し,ロタール1世の子であるルイ (ルートウィヒ2世) は西ローマ皇帝の称号 (在位 855~875) とイタリアとを保持。これが今日のドイツ,フランス,イタリアの原型となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「メルセン条約」の解説

メルセン条約(メルセンじょうやく)
Mersen


870(2)西(2禿)(1)(855)(西30km)

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「メルセン条約」の解説

メルセン条約
メルセンじょうやく
Treaty of Mersen

870年の,フランク王国の3分割を最終的に決定づけた条約
ロタール1世の死後,843年のヴェルダン条約による彼の遺領の中部フランクの東半分は東フランク王国(ルートヴィヒ)に,西半分は西フランク王国(シャルル)に分割され,ロタールの子ルートヴィヒ2世はイタリアと西ローマの皇帝の称号を保有した。この条約により,今日のドイツ・フランス・イタリアの原形がほぼ形づくられた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のメルセン条約の言及

【カロリング朝】より


 8431()2()2(西)(870)22923

※「メルセン条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ

タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...

タコノキの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android