モンゴル(読み)もんごる(英語表記)Mongol

翻訳|Mongol

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンゴル」の意味・わかりやすい解説

モンゴル(国)
もんごる
Mongol
Mongghol


Mongol Uls西23921259156411648161348546761580西2635200200711.739199270()()


自然


5206413511957西87471580532()西20025035010030405013001331516507231435389030281.81.316.9722.31

 (1)(2)(3)(4)4

(1)20103

(2)6001100

(3)

(4)西43744000

 333502620500


歴史


()313()53

 1516()17()163616691911()250

 19118退1919192061921319217117118192419922

 70()193019301939

 1948194919501940195019601961101962COMECON()1990

 198019891990519922


政治

革命以降、モンゴルの政治は社会主義憲法の一党独裁体制の下、人民革命党の主導で進められてきた。そしてその目ざす方向は、社会の発展段階にそって発布された3次にわたる憲法に明示された。第一次憲法は1924年に制定され、まず非資本主義的発展の第一段階として封建制度の一掃、政教分離の確立などが目標となった。1940年の第二次憲法では社会主義の基盤づくりが、そして1960年の第三次憲法では社会主義の完成が目ざされ、これを基礎に1990年代には共産主義社会建設に突入するのだと規定された。しかし皮肉にも、その共産主義社会建設の入口となるべき1990年代に入って、社会主義イデオロギーの放棄という事態を迎えることになるのである。

[鯉渕信一]

民主化運動

199070

 1986519()19885198912300

 199021990573退1990480230西19922


憲法と政治機構

199111111992113212670123456

 76425175

 445513使32

 4

 200520085

 214


外交・軍事




 1990199219946使()1993119944

 198661992使750080091001411828


経済・産業


19481958196010195999.6354196165197175198319865191988

 1990199115199351Tug44199548418431968849GDP608

 19911991GNP9.919927.6199112.8199214.9199312.91992325.519919IMF115000231219942007GDP28915112889.9貿411930194920217010貿200620071992325.520058.920065.1200715.1

 1990

 51

 


社会


80419602119601990西

 198920001.4197919891.12000237349349.650.401946.803473.8103200739

 20051596830038620040154.754.44

 100


文化




 便使()()200()()()161990

 30()()1


日本との関係

日本とモンゴルの関係は有史以前の交流(いわゆる「騎馬民族征服王朝」説や日本語とモンゴル語の同祖説など)はさておき、歴史時代に入ってからの接触は鎌倉時代の「元寇(げんこう)の役」程度で、まったくの没交渉であった。ようやく近代に入って、とくに日露戦争後の日本の大陸進出によって、さまざまな関係が生じることとなった。近代以降の両国関係は、大きく四つの時期に分けて考えることができる。第一段階は、モンゴル独立前後から第二次世界大戦終了までの時期である。これは日本の大陸政策がモンゴルの内外情勢にさまざまな形で脅威として影響を与え、両国が敵対的な関係にあった時期で、1939年の「ノモンハン事件」(ハルハ川戦争)に象徴される。第二段階は大戦終結後から外交関係の樹立(1972)までの期間で、民間レベルの交流がほそぼそとあっただけの疎遠な時期である。第三段階は外交関係の樹立からモンゴルの民主化運動の時期までで、日本の経済協力によってカシミヤ工場が建設され、教師や学生の相互交換などの文化交流が進むなど、緩慢ではあった関係拡大の基礎づくりがなされた。そして第四段階はモンゴルの民主化以降、日本がモンゴルへの最大支援国として、その発展に大きくかかわることになった1990年以後の日本・モンゴル新時代ともいえる現在の時期である。

 モンゴルは1987年ごろから外交面でも刷新を進めたが、その刷新外交の重要な対象国が日本であった。1987年に外相ドゥゲルスレンが初訪日し、続いて1990年2月には首相ソドノムが訪日して日本を「第二のパートナー」とよび、日本への強い期待を表明した。こうしたモンゴルの期待にこたえて、1991年8月に当時の首相海部俊樹(かいふとしき)が、日本はもとより西側首脳として初めて、モンゴルを訪問した。海部はモンゴル訪問前のロンドン・サミットで政治・経済体制の転換で苦しむモンゴルに対する国際的支援の意義と必要性を訴えた。またモンゴル訪問時にはさまざまな援助を約束したほか、東京でのモンゴル支援国会合の開催を打ち出し、同年9月には日本のイニシアチブで東京で第1回会合を開催した。以後、同会合はほぼ年1回のペースで開催されており、モンゴルの経済開発を支えている。日本は1997年まで世界銀行とともに同会の共同議長を務めるなど、支援の中心にあり、支援額も全体のほぼ3分の1を負担する最大の支援国となった。1996年には、日本・モンゴル両国の間で「総合的パートナーシップ」が掲げられ、2007年のエンフバヤル大統領訪日の際に「今後10年間の日本・モンゴル基本行動計画」が策定された。日本の対モンゴルODA(政府開発援助)は2005年度までの累計で有償391億0700万円、無償746億9500万円、技術協力262億6900万円となっている。政治・経済面での進展にあわせて、民間レベルの交流も活発化して、1990年以降、夏季のみのチャーター便として新潟―ウランバートル間に数便の飛行機が飛んでいただけであったのが、1997年からは関西空港―ウランバートル間に週2便の定期便が就航、2002年にはこれにかわって成田―ウランバートル間に定期便が就航するようになった。

 日本とモンゴルの総貿易額は1億5530万ドル(2007)で、モンゴルの日本への輸出額は1510万ドル、輸入額は1億4020万ドルと、モンゴルの大幅な輸入超過となっている。モンゴルの日本へのおもな輸出品目は繊維・繊維製品、銅などで、輸入品目は乗用車、トラックなどの自動車、一般機械、建設・鉱業用機械などである。

 モンゴルに支店を開設している日系企業は8社、現地法人化した日系企業は227社(2008)となっている。

 日本国内に在住するモンゴル人は3732人(2007年末現在)。また、モンゴル相撲(ずもう)の盛んなモンゴルは日本の大相撲においても強い力士を輩出し、2008年9月の時点では33人の力士が在籍、2009年初場所(1月)には2横綱1大関を含む8人の力士が前頭(まえがしら)以上の階級である幕内を占めた。

[鯉渕信一]

『坂本是忠著『モンゴルの政治と経済』(1969・アジア経済研究所)』『吉田実著『モンゴル発見』(1979・青林書院)』『田中克彦著『草原と革命』(1984・恒文社)』『小貫雅男著『遊牧社会の現代』(1985・青木書店)』『マイダル著、加藤九祚訳『草原の国モンゴル』(1988・新潮選書)』『小沢重男・鯉渕信一著『モンゴルという国』(1992・読売新聞社)』『小長谷有紀著『モンゴル風物誌』(1992・東京書籍)』『小長谷有紀著『モンゴルの二十世紀』(2004・中央公論新社)』『鯉渕信一著『騎馬民族の心』(1992・NHKブックス)』『鯉渕信一著『アジア動向年報・モンゴル編(各年)』(アジア経済研究所)』『Ts・バトバヤル著、芦村京・田中克彦訳『モンゴル現代史』(2002・明石書店)』『南部弾正著『モンゴル潮流』(2008・幻冬舎ルネッサンス)』『磯野富士子著『モンゴル革命』(中公新書)』『司馬遼太郎著『草原の記』(新潮文庫)』


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