レバノン内戦(読み)レバノンないせん(英語表記)Lebanese Civil War

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レバノン内戦」の意味・わかりやすい解説

レバノン内戦
レバノンないせん
Lebanese Civil War

 
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百科事典マイペディア 「レバノン内戦」の意味・わかりやすい解説

レバノン内戦【レバノンないせん】

1975年―1976年に起きた,レバノンの内戦。複雑な宗派構成をもつレバノンでは,独立以来,人口比に応じてマロン派キリスト教徒が政治の実権を握ってきた。やがてイスラム教徒が多数派となったが,キリスト教徒勢力はこれを認めず,対立が生じた。また,1970年にヨルダンを追われたPLO(パレスティナ解放機構)はレバノン南部に拠点を築いたが,これにレバノンのイスラム教徒が結託する形で〈キリスト教徒対イスラム教徒〉という対立の図式がつくられ,首都ベイルートを中心とする内戦に発展した。キリスト教徒勢力はシリアの援軍を頼み,戦闘は全土に拡大した。1976年10月アラブ首脳会議の調停で停戦。ベイルートはキリスト教,イスラムの両地区に分かれた。被災者150万人以上。→レバノン戦争
→関連項目シリア

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世界大百科事典(旧版)内のレバノン内戦の言及

【パレスティナ問題】より


734()(197075)(PLO1974)沿PLO

【レバノン】より

…その混迷は,数次にわたるパレスティナ難民の流入,とくに1970年代,ヨルダン王制のパレスティナ人弾圧(黒い九月事件)以降の大量流入でいっそう深まった。パレスティナ勢力が南レバノンで大きな軍事的勢力となると,1975‐76年には,キリスト教徒諸勢力とイスラム教徒(レバノン人とパレスティナ人)諸勢力が入り乱れるレバノン内戦に発展し,首都ベイルートは東(キリスト教徒地区)と西(イスラム教徒地区)に分断された。キリスト教徒勢力はシリアの軍事介入を要請し,以後シリア軍がレバノンに駐留することとなった。…

※「レバノン内戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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