デジタル大辞泉
「レピドゥス」の意味・読み・例文・類語
レピドゥス(Marcus Aemilius Lepidus)
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レピドゥス
- ( Marcus Aemilius Lepidus マルクス=エミリウス━ ) 古代ローマの政治家。カエサルの死後、紀元前四三年アントニウス・オクタビアヌスと第二次三頭政治を布いたが、前三六年オクタビアヌスと対立、三頭政治から除外され、政界から退いた。(前九〇頃‐前一三)
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レピドゥス
Marcus Aemilius Lepidus
生没年:前90ころ-前12
古代ローマの政治家。共和政期を代表する名門の出身。カエサルの独裁官︵ディクタトル︶就任に協力し,その有力部将となってヒスパニアで活動,前46年にはカエサルの同僚としてコンスル︵執政官︶に就任した。カエサルの外征︵前46-前44︶中,騎兵長官︵マギステル・エクイトゥム︶としてローマ市を預った。カエサルが暗殺︵前44︶されると,大神祇官︵ポンティフェクス・マクシムス︶就任とひきかえにアントニウスと結託,アントニウスが元老院派に敗退︵前43年3月,ムティナの戦︶すると一時元老院に協力するそぶりをみせたが,結局,軍を率いてアントニウスに合流して元老院により公敵宣言をうけた︵前43年5月︶。前43年10月,アントニウス,オクタウィアヌス︵のちのアウグストゥス︶とボノニアで会合し,3者共同で権力奪取して第2次三頭政治を開始,勢力範囲としてガリア・ナルボネンシス,ヒスパニア両州を掌握,実兄を含む反対派市民の処刑・追放にも同意した。前42年には2度目のコンスルとなり権力の頂点にあるかにみえたが,将軍としての才に乏しい彼は,結局アントニウス,オクタウィアヌスという両実力者の間の緩衝器的存在にとどまり,フィリッピの戦︵前42年10月︶ののち,両者によって従来の管轄属州を取り上げられたのを境に没落した。いったんはアフリカ州統治を認められた︵前40︶が,前36年,シチリアに勢力を広げようとしてオクタウィアヌスに阻止され,三頭政治および公的生活からの引退を強制された。
執筆者‥栗田 伸子
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レピドゥス
れぴどぅす
Marcus Aemilius Lepidus
(前90ころ―前12)
古代ローマの政治家。名門貴族︵パトリキ︶アエミリウス氏族の出身。カエサルとポンペイウスとの間の内乱で前者に従い、前49年プラエトル︵法務官︶、前48、47年スペイン総督、前46年コンスルとなった。同年カエサルが独裁官︵第三次︶になると、彼の死まで副官を務めた。前44年3月にカエサルが共和派に暗殺されると、アントニウスとともにカエサル派に有利な状況をつくりだし、カエサルの後任として大神祇(だいじんぎ)官になった。翌年秋、アントニウス、オクタウィアヌスとともに任期5年の﹁国家再建のための三人委員﹂に任命されて政権を握り︵いわゆる第二次三頭政治︶、前42年に共和派が敗れたのち、三人委員は共和派の追放、財産没収を行ったが、以後レピドゥスはしだいに勢力を失う。前37年に三人委員の任期はさらに5年延長されたが、翌年レピドゥスは委員の地位を奪われ、権力闘争から脱落、大神祇官の地位に甘んじた。
﹇吉村忠典﹈
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レピドゥス
Lepidus, Marcus Aemilius
[没]前13/前12
古代ローマのパトリキ (貴族) ,アエミリウス氏出身の政治家。前49~46年の元老院対ユリウス・カエサルの内戦中,後者にくみしてヒスパニアの一部を治め,前46年執政官 (→コンスル ) ,前45年カエサルの騎兵長官となった。カエサル暗殺 (前44) 後,カエサル派の M.アントニウスと組み,大神官となって,前43年オクタウィアヌス (アウグスツス ) を加えて第2次三頭政治を行なった。しかし2人に実権を奪われ,前36年シチリアで反抗を企てたが失敗,称号だけを許されて引退した。
レピドゥス
Lepidus, Marcus Aemilius
[没]前77以後.サルジニア
古代ローマのパトリキ (貴族) ,アエミリウス氏出身の政治家。一時スラ派,のち寝返り,ポンペイウス (大ポンペイウス) の助力によって前78年執政官 (→コンスル ) に就任。 L.スラの死後,その政策を廃し,追放者の召還,没収財産の返却などを行なった。しかし彼の提案が元老院で拒否されると,エトルリアとガリア・キサルピナで兵を集め,ローマへ進撃しようとしたため,反対派に公敵と宣せられ,ローマ進撃を果せず,サルジニアに逃れて死んだ。
レピドゥス
Lepidus, Marcus Aemilius
[没]前152
古代ローマのパトリキ (貴族) ,アエミリウス氏出身の政治家。前 187,前 175年の執政官 (コンスル ) 。前 179年戸口総監 (ケンソル ) 。前 180年以降大神官に就任。元老院の有力者として重きをなし,アエミリア街道,植民市の建設にも尽した。
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レピドゥス
古代ローマの政治家。共和政末期の内乱時代にカエサルの支持者として登場した。前43年アントニウス,オクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)と第2回三頭政治を始めアフリカ支配権を得たが,前36年オクタウィアヌスと対立し,政界から引退。
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レピドゥス
Marcus Aemilius Lepidus
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レピドゥス
Marcus Aemilius Lepidus
?〜前13ごろ
共和政ローマ末期の政治家
共和政末期のカエサルの部下。彼の死後はアントニウスを助けて第2回三頭政治を組織した。さらにオクタヴィアヌスを助けて属州アフリカを得たが,シチリアをも要求して,彼と対立して失脚した。
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世界大百科事典(旧版)内のレピドゥスの言及
【アウグストゥス】より
…資産相続の正当性をめぐってカエサル派の実力者アントニウスとは不和になったが,暗殺者の共和派の残党を追撃するなかで和解が成立した。前43年,アントニウスを支持するレピドゥスを加えて,〈国家再建三人委員〉を結成し,元老院の承認によって独裁官の全権を得ると,彼自身は北アフリカ,シチリア,サルディニアおよびコルシカを勢力基盤とする。前42年,[フィリッピの戦]で共和派の残党を一掃した際には,頭目ブルトゥスの首をカエサルの彫像の前にささげたといわれる。…
【三頭政治】より
…帝政成立前夜のローマで,有力将軍が連携して元老院を制肘︵せいちゆう︶し共和政体を空洞化させてゆく際の特徴的政治形態。前43年[アン]トニウス,オクタウィアヌス([アウグストゥス]),[レピドゥス]の三者が民会決議で︿国家再建のための三人委員﹀となり,全権を掌握した事態を第2次三頭政治と呼び,前60年[ポンペイウス],[カエサル],[クラッスス]が私的盟約により国政を牛耳ったのを,︿三人委員﹀との類似から第1次三頭政治と呼ぶ。(1)第1次三頭政治 東方遠征から帰還したポンペイウスは退役兵への土地配分等の課題達成のため,前59年のコンスルのカエサル,その後援者クラッススと密約し,彼の勢力を警戒する元老院門閥の妨害を封じた。…
【ローマ】より
… カエサルの甥で遺言により養子・相続人となったオクタウィアヌスはカエサルの領袖アントニウスと結んで公式に国家再建三人委員(いわゆる第2次三頭政治)に就き(前43),カエサルを暗殺した共和主義者の軍隊を[フィリッピの戦](前42)で破った。レピドゥスはポンペイウスの息子セクストゥスの征討に功があったが,やがて失脚し,オクタウィアヌスとアントニウスの両雄が残った。アントニウスはクレオパトラと結婚し帝国の東半分を私したので,オクタウィアヌスは西半分の軍勢を率い,[アクティウムの海戦](前31)でアントニウス=クレオパトラ連合軍を敗走させた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」