日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロイド・ジョージ」の意味・わかりやすい解説
ロイド・ジョージ
ろいどじょーじ
1st Earl of Dwyfor, David Lloyd George
(1863―1945)
イギリスの政治家。マンチェスターで生まれ、父の死後ウェールズのカーナーボンシャーで育つ。教会付属学校で教育を受けたのち、ソリシター︵事務弁護士︶となり、1890年自由党下院議員に選出された。自由党急進派の1人として南アフリカ戦争︵ブーア戦争︶中は﹁親ブーア派﹂の中心人物となり、戦争反対運動を激しく展開した。1905年自由党政府の商務相に就任、1908年財務相に転じて、海軍費や社会政策費などの経費膨張をまかなうため、地主への新たな土地課税を含む﹁人民予算﹂を発表︵1909︶、保守党の猛烈な反対を招いた。財務相時代に実現した老齢年金の導入や国民保険法の制定は、福祉国家政策の端緒といわれる。第一次世界大戦中、1915年に新設された軍需相となって戦争用物資の不足解消に功績をあげ、1916年12月アスキスの後を継いで連立政府の首相の座についてからは、少人数の戦時内閣を中心に、効率的な戦争指導を行った。第一次世界大戦後も連立政府を率いて、講和の達成やアイルランドでの内戦状況の収拾を指導したが、内政の安定化とともに保守党が連立解消に踏み切ったため、首相の座を保守党に明け渡した。その後、失業問題解決のための斬新(ざんしん)な政策案作成を推進するなど、活発な政治活動を持続したものの、自由党は完全に第三党に転落し、政治の中枢に復帰することはできなかった。
﹇木畑洋一﹈
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