ロイド・ジョージ(読み)ろいどじょーじ(英語表記)1st Earl of Dwyfor, David Lloyd George

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロイド・ジョージ」の意味・わかりやすい解説

ロイド・ジョージ
ろいどじょーじ
1st Earl of Dwyfor, David Lloyd George
(1863―1945)


189011905190819091915191612()


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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ロイド・ジョージ」の解説

ロイド・ジョージ
David Lloyd George, 1st Earl of Dwyfor


18631945

27()190809(191622)26

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロイド・ジョージ」の意味・わかりやすい解説

ロイド・ジョージ
Lloyd George, David, 1st Earl Lloyd George of Dwyfor

[生]1863.1.17. マンチェスター
[没]1945.3.26. ウェールズ,カーナーボンシャー
イギリスの政治家。幼時に父を失い,叔父のもとで育てられ弁護士となった。 1890年自由党から出馬して下院議員に当選,党内急進派としてボーア戦争に反対した。 1905年 H.カンベル=バナマン内閣に商務相として入閣。 08年 H.アスキス内閣の蔵相。第1次世界大戦中の 15年軍需相,その後陸相となり,16年アスキス辞任のあとわずか5人の閣僚から成る「戦時内閣」を組閣し,強力な指導力でイギリスを勝利へ導いた。 18年総選挙で大勝,翌年講和会議に出席したが,22年保守党との連立がくずれ首相を辞任。 26年アスキスの引退後党首となったが,自由党の勢力を回復できず,31年の大恐慌により指導力を失った。 38年以後宥和政策に反対し,40年 W.チャーチルに入閣を求められたが辞退。 45年伯爵。主著『大戦回顧録』 War Memoirs (1933~36) ,『講和条約の真相』 The Truth about the Peace Treaties (38) 。

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百科事典マイペディア 「ロイド・ジョージ」の意味・わかりやすい解説

ロイド・ジョージ

 
271908119161922退1945
 

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