与謝蕪村(読み)ヨサブソン

デジタル大辞泉 「与謝蕪村」の意味・読み・例文・類語

よさ‐ぶそん【与謝蕪村】

 
17161784()()()()2()()()()()()
301897  

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精選版 日本国語大辞典 「与謝蕪村」の意味・読み・例文・類語

よさ‐ぶそん【与謝蕪村】

 

(一)
 

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朝日日本歴史人物事典 「与謝蕪村」の解説

与謝蕪村

 
3.12.25(1784.1.17)
1(1716)
,,,,,(),(),20(),,,101(1751),36,,,7(1770),552,,53,,,,,, ,,,, ,,<参考文献>,,,  
()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「与謝蕪村」の意味・わかりやすい解説

与謝蕪村
よさぶそん

 
[]1(1716).
[]3(1783).12.25. 
2 () 17182 (1742)  () 101 (44) 29寿1 (51) 107 (70) 2便 ()  (80)   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「与謝蕪村」の解説

与謝蕪村 よさ-ぶそん

1716-1784* 江戸時代中期の俳人,画家。
享保(きょうほう)元年生まれ。20歳ごろ江戸にでて早野巴人(はじん)(夜半亭宋阿)に俳諧をまなぶ。師の死後は関東,奥州を遊歴し,宝暦元年京都にうつる。写実性,浪漫性,叙情性にとむ俳風で中興期俳壇の中心的存在となる。晩年は蕉風(しょうふう)復興を提唱。画家としては文人画を大成,代表作に池大雅との合作「十便十宜図」がある。天明3年12月25日死去。68歳。摂津東成郡(大阪府)出身。本姓は谷口。俳号は別に夜半亭,紫狐庵など。著作に俳体詩「春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)」,句日記「新花摘(しんはなつみ)」など。
【格言など】しら梅に明くる夜ばかりになりにけり(辞世)

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旺文社日本史事典 三訂版 「与謝蕪村」の解説

与謝蕪村
よさぶそん

1716〜83
江戸中期の俳人・文人画家
本姓谷口,画号謝寅 (しやいん) 。摂津(大阪府)東成郡の富農の出身。江戸で早野巴人 (はじん) に俳諧を学び,また書・画・漢詩をおさめ,のち京都に定住。文人画の大家として池大雅と並称され,合作の『十便十宜図』は有名。また蕉風俳諧を信奉して,絵画的・ロマン的な句で俳諧を中興した。著書に句集『蕪村七部集』など。また『奥の細道図屛風』など俳画の確立者でもある。

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改訂新版 世界大百科事典 「与謝蕪村」の意味・わかりやすい解説

与謝蕪村 (よさぶそん)

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百科事典マイペディア 「与謝蕪村」の意味・わかりやすい解説

与謝蕪村【よさぶそん】

蕪村

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「与謝蕪村」の解説

与謝蕪村
よさぶそん

蕪村(ぶそん)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「与謝蕪村」の意味・わかりやすい解説

与謝蕪村
よさぶそん

蕪村

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世界大百科事典(旧版)内の与謝蕪村の言及

【蕪村】より


()(171636)1737(2)()

※「与謝蕪村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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