伊治呰麻呂(読み)いじのあざまろ

精選版 日本国語大辞典 「伊治呰麻呂」の意味・読み・例文・類語

いじ‐の‐あざまろいぢ‥【伊治呰麻呂】

 

(一)()鹿使()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「伊治呰麻呂」の意味・わかりやすい解説

伊治呰麻呂 (いじのあざまろ)


78011︿鹿宿使


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百科事典マイペディア 「伊治呰麻呂」の意味・わかりやすい解説

伊治呰麻呂【いじのあざまろ】

 
()780()鹿()()使()()()
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊治呰麻呂」の意味・わかりやすい解説

伊治呰麻呂
いじのあざまろ


()()()()()78011使()()鹿()()()()()()()()()()使()()()()


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伊治呰麻呂」の解説

伊治呰麻呂
いじのあざまろ

生没年不詳。奈良末期の蝦夷(えみし)の首長。伊治は「これはり」「これはる」と読んだ可能性が高い。778年(宝亀9)戦功により外従五位下を授けられた。780年,覚鱉城(かくべつじょう)造営のため陸奥按察使(むつのあぜち)紀広純(きのひろずみ)が伊治城に赴いた際に,呰麻呂は上治(伊治か)郡大領(だいりょう)として広純に従っていたが,同年3月,俘軍(ふぐん)を率いて反乱をおこし,広純と牡鹿(おしか)郡大領道島大楯(みちしまのおおたて)を殺した。呰麻呂が広純を嫌悪し,蝦夷出身の呰麻呂を侮辱した大楯を怨んでいたためという。呰麻呂は陸奥介大伴真綱(まつな)を助け多賀城に護送したが,真綱らが城から逃亡したため,府庫の物を奪い多賀城を焼き払った。この事件を契機として戦乱状態が長期にわたり続くが,その後の消息は不明。


伊治呰麻呂
これはるのあざまろ

伊治呰麻呂(いじのあざまろ)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊治呰麻呂」の解説

伊治呰麻呂 いじの-あざまろ

?-? 奈良時代の蝦夷(えみし)の首長。
陸奥(むつ)伊治(宮城県栗原郡)を本拠とする。宝亀(ほうき)8年出羽(でわ)の蝦夷を討ち,のちに上(伊)治郡の大領(郡司)となる。11年(780)朝廷に服属していた蝦夷をひきい伊治城で反乱,紀広純(きの-ひろずみ),道嶋大楯(みちしまの-おおだて)を殺し,多賀城を攻略した。25年におよぶ戦乱のきっかけとなる。氏は「これはり」ともよむ。

伊治呰麻呂 これはりの-あざまろ

いじの-あざまろ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊治呰麻呂」の意味・わかりやすい解説

伊治呰麻呂
いじのあざまろ

奈良時代末期の蝦夷出身の武将。陸奥国上治郡大領。宝亀8 (777) 年,出羽の蝦夷鎮定の戦功により外従五位下に叙せられたが,同 11年反乱を起し,按察使 (あぜち) 参議紀広純を伊治城に殺した。

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