側用人(読み)ソバヨウニン

デジタル大辞泉 「側用人」の意味・読み・例文・類語

そば‐ようにん【側用人】

 
 

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精選版 日本国語大辞典 「側用人」の意味・読み・例文・類語

そば‐ようにん【側用人】

 

(一)  
(二) 
(一)[](1687)
(三) 
(一)[]()(193235︿)
 

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改訂新版 世界大百科事典 「側用人」の意味・わかりやすい解説

側用人 (そばようにん)


16811573000宿2678172510西33956610721

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「側用人」の意味・わかりやすい解説

側用人
そばようにん


()5()()16811()3()()()1681843015()()()()1711166()7()()()171636()1751649()()10()()11()()()()西()


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百科事典マイペディア 「側用人」の意味・わかりやすい解説

側用人【そばようにん】

江戸幕府の職名。将軍近侍の役職で,5代綱吉が将軍就任の翌年に館林藩主時代の家老牧野成貞を登用したのが最初。奥向の職方で,表方老中,若年寄ら伺・上申を取り次ぎ,その可否を献議する。家柄によらず,才能に応じて登用されたが,将軍の恩寵を背景に往々権勢を振るって幕政を左右した。柳沢吉保間部詮房(まなべあきふさ),田沼意次(おきつぐ)らが有名。
→関連項目徳川家重徳川家宣徳川家治沼津藩柳沢氏

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「側用人」の意味・わかりやすい解説

側用人
そばようにん

 
11 (1681) 1 (84)  ()   

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「側用人」の解説

側用人
そばようにん

江戸幕府の職名。1681年(天和元)に5代将軍徳川綱吉が館林藩主のときの家老だった牧野成貞を側衆から登用したのが起源とされる。将軍の命を老中に伝え,老中からの上申を将軍に伝達するのを職分としたが,将軍の相談役でもあった。原則として大名を任じ,老中と同格の従四位下侍従に叙任される者も多く,老中に準じる待遇を与えられた。必ずしも常置された役職ではなく,複数の就任者がいた時期もあった。5代将軍綱吉から7代将軍家継のときの柳沢吉保や間部詮房(まなべあきふさ)は,老中をこえるほどの強大な権威をもったが,正規の老中職につけなかった。1772年(安永元)田沼意次(おきつぐ)のときはじめて正規の老中に昇進する道がひらけた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「側用人」の解説

側用人
そばようにん

 

5 () 67 () 10 ()   

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とっさの日本語便利帳 「側用人」の解説

側用人

江戸幕府において、将軍と老中、若年寄、三奉行など政治の実際に関わる者の間を取り持つ役職。綱吉の時代に制度が確立し、以後幕府の主導権を握る。柳沢吉保、田沼意次などが有名。その後、第八代将軍徳川吉宗(在職一七一六~四五)が享保の改革を断行、側用人制度を廃止した。

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世界大百科事典(旧版)内の側用人の言及

【江戸時代】より

…うわさは火札や捨文,天狗廻状などと並んで民衆レベルの情報伝達手段として今後研究されねばならないが,江戸時代の武士階層を含めて多くの人々が情報に飢えていたことは,内々の情報やうわさを書きとめた〈随筆〉という文学のジャンルが後期に成立したことによっても知られる。
[側近と家老]
 この時代を通じて政策を最終的に決定したのは,出頭人(しゆつとうにん),側用人などと呼ばれた将軍や大名の側近グループであった。側近のなかには女性や僧侶なども広義には含まれるが,側近の本来の機能は日夜君側にあって主君を護衛し,主君とそのもとへ伺候する家臣との間の言葉を取り次ぐことにあった。…

【江戸幕府】より

…初期にはそれぞれの軍事的・政治的能力によって将軍の親衛隊としての役割をになった旗本や譜代大名であったが,その子孫になると家柄(家格)によって幕府内部の地位が決定されることになり,その直参としての役割は形骸化する。他方では,将軍の代替りごとに新たに形成される側用人などの側近が将軍の取次ぎとして幕府の意思決定に実質的に参加することにより,老中以下の評定所の機能が形式化する場合や,家格制の下で有能な下級役人が実務上に大きな手腕を発揮する場合がしばしば見られたことも,中・後期の特徴であった。
【幕府の崩壊】
 幕府崩壊の遠因は貨幣経済の浸透による農村の変質と都市へのその反映に対処できなかったことにあり,享保,寛政,天保の幕政改革も十分な効果をあげえなかった。…

【近習】より


  

※「側用人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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