デジタル大辞泉
「円爾」の意味・読み・例文・類語
えんに〔ヱンニ〕【円爾】
倉で参禅し、入宋。帰国後、九州・京都で説法。東福寺の開山となる。勅(ちょ)諡(くし)号(ごう)、聖(しょ)一(ういち)国師を賜り、これが日本の国師号の最初。著﹁三教要略﹂。円(えん)爾(にべ)弁(んえ)円(ん)。
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円爾
えんに
(1202―1280)
鎌倉中期の臨済(りんざい)宗の僧。姓は平氏。駿河(するが)︵静岡県︶の人。初め円爾房と称し、のち円爾を諱(いみな)とした。別に弁円ともいう。建仁(けんにん)2年10月15日に生まれる。5歳で久能山(くのうざん)尭弁(ぎょうべん)に師事し、以後天台教学を学び、18歳で園城寺(おんじょうじ)にて落髪、東大寺で受戒した。その後、上野(こうずけ)︵群馬県︶長楽寺(ちょうらくじ)の栄朝(えいちょう)︵1165―1247︶、鎌倉寿福寺の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)︵1163―1241︶の2師から禅旨(ぜんし)を受け、1235年︵嘉禎1︶神子栄尊(しんしえいそん)︵1195―1273︶と入宋(にっそう)する。癡絶道冲(ちぜつどうちゅう)︵1169―1250︶、笑翁妙堪(しょうおうみょうたん)︵1176―1247︶、石田法薫(せきでんほうくん)︵1171―1245︶などに歴参後、径山(きんざん)︵浙江(せっこう)省︶万寿寺の無準師範(ぶじゅんしはん)の法を嗣(つ)いで、1241年︵仁治2︶帰朝した。筑前(ちくぜん)︵福岡県︶崇福寺(そうふくじ)、承天寺(しょうてんじ)の2寺で禅宗を唱え、まもなく藤原︵九条︶道家の招きで上洛(じょうらく)、北条時頼(ほうじょうときより)の帰依(きえ)を受け、京と鎌倉を往復し、建長寺開山の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)とも交流があった。1255年︵建長7︶道家建立の東福寺開山となり、のち寿福寺、建仁寺に歴住し、1269年︵文永6︶東大寺大勧進(だいかんじん)となった。天皇、上皇をはじめ、東西の道俗の帰依を受け、禅法と宋学を説き、弘安(こうあん)3年10月示寂。聖一国師(しょういちこくし)の号を賜る。﹃聖一国師語録﹄﹃聖一国師法語﹄各1巻がある。無関普門(むかんふもん)、東山湛照(とうざんたんしょう)︵1231―1291︶、白雲慧暁(はくうんえぎょう)︵1223―1298︶、無住道暁(むじゅうどうぎょう)など、多くの弟子が五山禅林で活躍した。
﹇中尾良信 2017年5月19日﹈
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円爾 えんに
建仁(けんにん)2年10月15日生まれ。臨済宗(りんざいしゅう)聖一派の祖。はじめ天台をまなび,のち臨済の釈円栄朝と退耕行勇に師事。嘉禎(かてい)元年宋(そう)(中国)にわたり,無準師範の法をつぎ,仁治(にんじ)2年帰国。九条道家にまねかれ東福寺の開山となり,朝廷や北条時頼らの帰依(きえ)をうけた。弘安(こうあん)3年10月17日死去。79歳。駿河(するが)(静岡県)出身。法名は別に弁円(べんねん)。諡号(しごう)は聖一国師。語録に﹁聖一国師語録﹂﹁聖一国師仮名法語﹂。
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円爾
えんに
鎌倉中期の臨済宗の僧
別名弁円 (べんねん) 。諡号 (しごう) は聖一 (しよういち) 国師。駿河の人。1235年入宋,無準 (ぶじゆん) に師事し,その法を継いで帰朝。博多に崇福 (そうふく) 寺・承天寺を開く。'43年九条道家に招かれ,京都東福寺の開山となり,公武の帰依をうけた。弟子に虎関師錬がいる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
円爾 (えんに)
生年月日:1202年10月15日
鎌倉時代前期の臨済宗の僧
1280年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の円爾の言及
【弁円】より
…鎌倉中期の臨済宗の僧。字は円爾︵えんに︶。諡︵おくりな︶は聖一︵しよういち︶国師。…
※「円爾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」