日本歴史地名大系 「北牟婁郡」の解説
北牟婁郡
きたむろぐん
〔原始・古代〕
当郡には赤あか羽ば川・船ふな津つ川・銚ちよ子うし川の三河川があり、流域には幾つかの平地が形成されている。日本有数の豪雨地帯のため遺跡や遺物は流失したと考えられ、二に郷ご神社︵紀伊長島町︶境内や、深く内陸に入込んだ入江奥の片かた上かみ︵紀伊長島町︶や小おう浦ら︵海山町︶にわずかに縄文中・後期遺跡や弥生遺跡がみられる程度である。海岸線には諏すわ訪い池け・古ふる里さと・海かい野の・比ひい幾け・道どう瀬ぜ・豊とい浦ら・横よこ城じろ︵紀伊長島町︶、大おお白じろ浜・船ふな越こし・矢やぐ口ちあ網じ代ろ・小おや山ま浦︵海山町︶などに縄文から古墳時代にかけての遺跡がある。
大化二年︵六四六︶国郡の制定に伴い、当郡域は志摩国英あ虞ご郡に属した。伊勢神宮の御厨があり、塩を奉納したと思われ、平安時代から鎌倉時代にかけての製塩場跡や製塩土器が発見されている。製塩遺跡は紀伊長島町の城じよ之うの浜・大おお名なぐ倉ら・道瀬、海山町の矢口網代にみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報