日本大百科全書(ニッポニカ) 「十二館」の意味・わかりやすい解説
十二館
じゅうにたて
室町中期から戦国時代にかけて蝦夷地(えぞち)の南端に群雄割拠した小豪族の12の館。館主の系譜や館の構築年代は不明な点が多いが、室町中期には、小林良景(よしかげ)の志濃里(しのり)館︵函館(はこだて)市志海苔(しのり)町︶、河野政通(こうのまさみち)の箱館(はこだて)︵函館市函館山山麓(さんろく)︶、下国家政(しもくにいえまさ)の茂別(もべつ)館︵北斗(ほくと)市茂辺地(もへじ)︶、佐藤季則(すえのり)の中野(なかの)館︵木古内(きこない)町字中野︶、南条季継(すえつぐ)の脇本(わきもと)館︵知内(しりうち)町字涌元(わきもと)︶、蒋土季直(こもつちすえなお)の穏内(おんない)館︵福島町字吉岡(よしおか)︶、今泉季友(すえとも)の覃部(およべ)館︵松前町字東山(ひがしやま)︶、下国定季(しもくにさだすえ)の大館(おおだて)︵松前町字西館(にしだて)︶、近藤季常(すえつね)の禰保田(ねぼた)館︵松前町字館浜(たてはま)︶、岡部季澄(すえきよ)の原口(はらぐち)館︵松前町字原口︶、厚谷重政(あつやしげまさ)の比石(ひいし)館︵上ノ国(かみのくに)町字石崎(いしざき)︶、蠣崎季繁(かきざきすえしげ)の花沢(はなざわ)館︵上ノ国町字上ノ国︶の12の館があり、各館主とも津軽安東(あんどう)氏の配下に置かれていた。
﹇榎森 進﹈
﹃﹃新撰北海道史 第2巻 通説1﹄︵1937・北海道庁︶﹄