名誉革命(読み)メイヨカクメイ(英語表記)Glorious Revolution

デジタル大辞泉 「名誉革命」の意味・読み・例文・類語

めいよ‐かくめい【名誉革命】

 
Glorious Revolution168889223  

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精選版 日本国語大辞典 「名誉革命」の意味・読み・例文・類語

めいよ‐かくめい【名誉革命】

  1. ( [英語] Glorious Revolution の訳語 ) イギリス市民革命一六八八‐八九)。王政復古後、ジェームズ二世の国王大権の濫用とカトリック復興政策に対して、議会が王を追い、王の長女メアリー二世とその夫オレンジ公ウィリアム三世を共同統治者にした革命。王は権利の宣言を認め、権利の章典として制定した。議会主権に基づく立憲王政を樹立した革命で、流血を見なかったところからの呼称。

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改訂新版 世界大百科事典 「名誉革命」の意味・わかりやすい解説

名誉革命 (めいよかくめい)
Glorious Revolution


1688-892

 16702852︿8788︿88778867143︿1115000西212

 891︿︿Declaration of Rights89232︿︿︿

 222893372︿

 17︿︿217

 調︿40︿︿貿

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百科事典マイペディア 「名誉革命」の意味・わかりやすい解説

名誉革命【めいよかくめい】

 
17216882168932
2  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「名誉革命」の意味・わかりやすい解説

名誉革命
めいよかくめい
Glorious Revolution


1688168521685888788887

 1688655761113000西()12

 1689123217

 

1978198183

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「名誉革命」の意味・わかりやすい解説

名誉革命
めいよかくめい
Glorious Revolution

 
1688892 (3 )  (2 ) 852886 J.F.E.111217  

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「名誉革命」の解説

名誉革命(めいよかくめい)
Glorious Revolution


1688892姿(2)(3)16881123892

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旺文社世界史事典 三訂版 「名誉革命」の解説

名誉革命
めいよかくめい
Glorious Revolution

1688年から89年にかけて行われた,イギリスの市民革命
流血を伴ったピューリタン革命に対して,無血革命であったことから,この名がある。王政復古後,チャールズ2世・ジェームズ2世の専制政治に苦しんだ議会は,結束してジェームズ2世の娘メアリ2世とその夫オランダ総督オラニエ公ウィレムを王位に迎え,無血の政変を成功させた。ウィレム夫妻は共同統治者として,1689年2月権利の宣言を承認し,同年12月に権利の章典として発布,ここに立憲君主政治が確立した。

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世界大百科事典(旧版)内の名誉革命の言及

【イギリス】より


17()︿︿

【オラニエ=ナッサウ家】より


17=3(16721702)(1672)退16883()=NassauDietzJohan Willem Friso(16871711)417477(1751)

【権利章典】より

…1688年12月,国王ジェームズ2世が国外に逃亡したあとをうけて,翌年1月召集された仮議会は,王国の状況を説明するための決議を行い,さらにオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)に改革要求を提出することにし,〈古来の自由と権利を擁護し,主張するため〉の宣言を行った。これが〈権利宣言Declaration of Rights〉であり,オラニエ公ウィレムと妃のメアリーはこれに署名して共同統治者として即位し,ここに名誉革命が成就した。この〈権利宣言〉にもとづき,同年12月に制定されたのが〈権利章典〉である。…

【ジャコバイト】より

名誉革命(1688‐89)によってイギリス国王ジェームズ2世が事実上退位を強制され,フランスへ亡命した後も,引き続き同王とその直系の子孫を正統な君主として支持した人々。ジェームズのラテン語形Jacobusにちなみジャコバイトと呼ばれた。…

【トーリー党】より

…その有力な支持基盤は在地の地主層とロンドンの特権商人層で,宗教的には英国国教会の支持者であった。 1685年に即位したジェームズ2世が公然とカトリックに改宗し,フランスの支援を得て専制政治の復活を企てると,トーリー党も国王支持を断念,ホイッグ党と結んでオランダのオラニエ公ウィレム招聘に踏み切り,両者の協力の下に名誉革命を成功させた。しかし,オラニエ公をウィリアム3世として即位させることには抵抗を示し,これを摂政にとどめようとしたが失敗。…

【ホイッグ党】より

…宗教的には英国国教会の中のリベラルな層と非国教徒を含み,政治的には共和主義者をも含むが,中心は制限王政論者である。 1688年の名誉革命はトーリー党の協力を得て成功したものの,基本的にはホイッグ路線の勝利を意味した。とくに,血統による王位継承という原理を否定し,議会の決定によってウィリアム3世を即位させたということは,ホイッグの主張する社会契約論の実践ともいいうるものである。…

【マグナ・カルタ】より

…むしろ中世末から16世紀いっぱいまではマグナ・カルタは現実政治でほとんど何の役割も演じていない。イギリス立憲政治の発展にとって決定的な時期は,ピューリタン革命と名誉革命とで特徴づけられる17世紀である。マグナ・カルタが今日のように立憲政治の礎としての意義をもたされるのは,この時期にスチュアート朝の専制政治と戦った人々がみずからの主張のよりどころをここに求めたことから始まる。…

※「名誉革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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