日本歴史地名大系 「大塩屋御園」の解説
大塩屋御園
おおじおやのみその
高たか向ぶく郷長なが屋や御厨内に形成された伊勢神宮領御園。塩田・塩屋が多く、塩生産の基地であった。神宮文庫蔵太田文書︵以下の記述はこれによる︶の正応二年︵一二八九︶一一月日付領家某塩浜売券は、塩浜を御塩所司河奈志末春に売渡した際のもので、塩浜の所在は﹁度会郡高向郷長屋御厨内塩屋御園﹂と記され、塩屋御園が長屋御厨内部に遅くとも一三世紀末には成立していたことがわかる。この領家は永仁二年︵一二九四︶七月一八日にも塩屋御園内部の畠地を逆石子に売渡しており︵同年月日付領家某畠地売券︶、塩屋御園のいわば開発領主にあたると考えられる。太田文書は、右の二通の売券から慶長一七年︵一六一二︶に至るまで、大塩屋御園関係の売券約二〇〇通を伝える。そのなかには多量の塩田売券が含まれ、御塩所司らによって経営される塩浜の存在をうかがうことができる。
嘉慶三年︵一三八九︶二月一六日付権禰宜度会神主某所領売券案には﹁高向郷内塩屋御薗検断竈別公事物在之 直銭佰貫文請納畢 右所領者、以去康永二年親父行廉神主自慈一法眼并森兵庫助入道等手半分充両度買得、仍於惣領職者、一円不輸相続管領于今無相違﹂とあり、塩屋御園の惣領主職は慈一法眼と森兵庫助入道により折半されていたが、康永二年︵一三四三︶に度会行廉が買得し、その後行廉の子度会権禰宜某が譲り受けたが、この嘉慶三年、馬瀬左衛門尉知親に売渡した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報