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…李元昊は河西各地を収めたのち,独立意識に燃えて国家建設に着手し,興州を興慶府と改めて都とし(現在の寧夏回族自治区銀川市),宋制にならって文武の官制をたて,年号をたて,兵制を定めて十二監軍司などを設けて防衛を固めた。38年(天授礼法延祚1),皇帝を称し,国号を大夏と定めた。宋の北西に当たるため,宋では西夏といった。…
…トカラ(吐火羅),トハラともよばれた。この地域は古くからインド,西アジア,中央アジアを結ぶ交通の要衝にあたり,トゥハラ人の名は既にストラボンの《地理誌》に挙げられ,また《史記》大宛伝の大夏がそれにあたると考えられる。玄奘の《大唐西域記》巻一に覩貨邏(とから)として記述され,その地域の文字,言語,風俗が中央アジアのソグドやヒンドゥークシュ山脈以南のインド世界とも異なることを指摘している。…
…アイ・ハヌムはバクトリア王国の副都か,東方の重要都市であったにちがいない。西方や中国側史料によれば,バクトリア王国(中国史料の大夏に相当する)は前150年ころ,シル・ダリヤのかなたから侵入してきた大月氏(月氏(げつし))によって滅亡したという。残余のギリシア人はヒンドゥークシュの南へ逃れ,しだいに土着化した。…
※「大夏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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