デジタル大辞泉
「大川」の意味・読み・例文・類語
おおかわ︻大川︼﹇福岡県の市﹈
人口3.7万︵2010︶。
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おお‐かわおほかは【大川・大河】
(一)[1] 〘 名詞 〙 大きな川。たいが。
(一)[初出の実例]﹁度会(わたらひ)の大川(おほかは)の辺の若歴木(わかひさぎ)わがひさなればいも恋ひむかも﹂(出典‥万葉集︵8C後︶一二・三一二七)
(二)[2]
(一)[ 一 ] 大阪市内を流れる淀川の通称。江戸時代には天満橋と難波橋との間の川幅の最も広い所を大川筋と称した。現在は都島区の毛馬水門から中之島東端までの旧淀川の一部をいう。天満川。
(一)[初出の実例]﹁一たび乞人の手に渡りし銭なればとて、大川に捨てける﹂(出典‥浮世草子・椀久一世︵1685︶上)
(二)[ 二 ] 東京都内を流れる隅田川(すみだがわ)下流の通称。浅草川。
(一)[初出の実例]﹁足利頼兼公、遊女高尾が追善の為、大川におゐて花火をあげ給ふ﹂(出典‥咄本・無事志有意︵1798︶高尾)
(三)[ 三 ] ( 大川 ) 福岡県南西部の地名。筑後川の下流域に面し、家具・建具などの木工業が盛ん。昭和二九年︵一九五四︶市制。
(四)[ 四 ] ( 大川 ) 香川県の東部にあった郡。明治三二年︵一八九九︶大内(おおち)郡と寒川(さむかわ)郡が合併して成立。現在の東かがわ市、さぬき市にあたる。
たい‐せん【大川】
- 〘 名詞 〙 大きな川。大河。
- [初出の実例]「名川は天下して大川也」(出典:清原国賢書写本荘子抄(1530)一〇)
- [その他の文献]〔易経‐需卦〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
大川
おおかわ
淀川の一分流︵新淀川開削までの淀川本流︶の名称で、都(みや)島(こじま)区の毛(け)馬(ま)閘門から北区中(なか)之(のし)島(ま)の東端で土(とさ)佐(ぼ)堀(り)川と堂(どう)島(じま)川に分岐するまでの約四・四キロをいう。上流から毛馬橋・都島橋・源(げん)八(ぱち)橋・桜(さく)の(らの)宮(みや)橋・川(かわ)崎(さき)橋・天(てん)満(ま)橋・天(てん)神(じん)橋が架かり、天満橋の上流で左岸に寝屋川を合せる。毛馬閘門周辺は公園化されており、その他両岸には毛馬公園・桜之宮公園・南天満公園などがあり、それぞれ市民の憩の場となっている。また桜之宮公園の対岸︵右岸︶には明治四年︵一八七一︶に開局された造幣局があり、構内の桜並木は﹁通りぬけ﹂として市民に親しまれている。
大川の称は江戸時代から淀川の異称・通称として用いられているが、具体的にどの辺りをよぶかは一定していなかったようである。いちばん広くとるのは明暦―寛文年間︵一六五五―七三︶の近世大坂地図で、長(なが)柄(ら)︵中津川分岐点︶以南を大川とする。これに対し﹁摂津名所図会大成﹂は、同じく異称である天満川の項に﹁天満ばし、天神ばし、なには橋等の三大橋下をながるゝ大川なり、世俗すべて淀川と称すれどもくわしくハ山城の淀より当摂津の長柄までを淀川といひ、長柄より下ハ天満川なり、難波ばしより下を大川といひ︵下略︶﹂という。
大川
おおかわ
[現在地名]東部町大字和 上大川・下大川
北国脇往還海(うん)野(の)宿より、海(かい)善(ぜん)寺(じ)村・中(なか)曾(ぞ)根(ね)村等を経て、烏(え)帽(ぼ)子(し)岳山麓の東(ひが)田(した)沢(ざわ)村へ通ずる道と、上田城下より禰(ね)津(つ)へ通ずる道の交わる一帯の集落。金(かな)原(ばら)川が東を流れている。永禄八年︵一五六五︶一一月、諏訪大社上社の武田信玄による造営再興次第に海野之分として﹁正物合壱斗四升三合田数五段半大河之分﹂として大川がみえている。今、上大川と下大川に分れている。元和八年︵一六二二︶仙石氏の上田領石高帳︵重田家文書︶には﹁百拾弐貫四百文高弐百七拾七石六斗弐升八合 大川赤石村﹂と記され、江戸初期正保四年︵一六四七︶信濃国絵図高辻︵県宝、上田市立博物館蔵︶には現下大川のやや東より一帯を大川村と記し、村高﹁高弐百七拾七石余﹂。
大
川
おおつちがわ
下閉伊郡川(かわ)井(い)村の小(おぐ)国(に)との境、土(つち)坂(さか)峠︵標高七五八メートル︶を源として、金(かね)沢(ざわ)・大槌地区を貫いて北西から南東に流れ大槌湾に入る。金沢辺りでは金沢川、大槌では大槌川とよぶ。延長一二・五キロ。下流域では古くから鮭留漁業が行われ、安永六年︵一七七七︶には四(よつ)日(か)町の忠左衛門が五ヵ年御礼銭六二五貫文で、天明九年︵一七八九︶には盛岡八(はち)幡(まん)町儀右衛門が一ヵ年御礼銭一五〇貫文・御役塩引五〇本・筋子二樽で願出て許されている︵雑書︶。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大川(市)
おおかわ
福岡県南西端にある市。1954年︵昭和29︶大川町と三又(みつまた)、田口、木室(きむろ)、川口、大野島の5村が合併して市制施行した。筑後川(ちくごがわ)下流左岸の低湿な三角州地帯に位置している。国道208号、385号、442号が通じる。1751年︵宝暦1︶久留米藩(くるめはん)主有馬氏が若津港(わかつこう)を開いてから、筑後平野の物資集散地として発達した。現在は、天文(てんぶん)年間︵1532~1555︶に始まったといわれる家具、建具などの木工業が発達し、工業出荷額の過半を占めるが小工場が多い。大規模な木工団地計画による近代化が進められ、家具団地や建具団地が造成され、1964年新産業都市に指定された。
農業はクリークの発達した水田農業で、米とイグサ栽培が中心で、イチゴの生産も多い。有明(ありあけ)海でのノリ養殖、採貝などの漁業も盛んで、筑後川でエツを特産するほか、鑑賞魚養殖も発達を遂げている。青木繁(しげる)、坂本繁二郎、東郷青児(せいじ)らの絵画を所蔵する清力美術館(せいりきびじゅつかん)や風浪宮(ふうろうぐう)︵本殿と五重塔は国指定重要文化財︶が名高い。江戸後期の民家である旧吉原家住宅も国の重要文化財。1996年︵平成8︶旧国鉄佐賀線の筑後川昇開橋が遊歩道として開通、2003年に橋は国の重要文化財に指定された。面積33.62平方キロメートル、人口3万2988︵2020︶。
﹇石黒正紀﹈
﹃﹃大川市誌﹄︵1977・大川市︶﹄
大川(香川県)
おおかわ
香川県東部、大川郡にあった旧町名︵大川町(ちょう)︶。現在はさぬき市の南東部を占める一地区。1955年︵昭和30︶松尾、富田の2村が合併し大川村となり、1961年町制施行。2002年︵平成14︶、津田、志度(しど)、寒川(さんがわ)、長尾の4町と合併、市制施行してさぬき市となる。おもに花崗(かこう)岩からなる山地と、北流する津田川の形成した低地部からなる内陸の農業地域。地区の中央を通る県道沿いに集落が発達。古くは難波の里とよばれ、富田茶臼山(とみだちゃうすやま)古墳をはじめとする多くの古墳、遺物がある。米作を主にタバコ、ムギ、イチゴなどを栽培する農業のほか、わが国屈指のボタン製造業がある。文化財としては吉金窯跡、17世紀の寄棟(よせむね)造でかや葺(ぶ)き︵現在は藁(わら)葺きを使って復原︶の旧恵利家住宅(えりけじゅうたく)︵国の重要文化財︶や郷土芸能の南川太鼓(みなみかわだいこ)などがある。
﹇新見 治﹈
﹃﹃大川町史﹄︵1978・大川町︶﹄
大川(村)
おおかわ
高知県中北部、土佐郡にある村。吉野川上流の山村で、北は石鎚(いしづち)山から延びる1500メートルを超す山嶺(さんれい)で、愛媛県と接している。村の中央部を貫流する吉野川は、早明浦(さめうら)ダム︵土佐町︶建設により人工湖となり、河畔の農耕地の多くが水没した。林業やクリの栽培、肉用牛の肥育、養鶏などが行われる。藩政時代開鉱の白滝鉱山(しらたきこうざん)︵銅、硫化鉄︶は昭和初期から発展し、一時は従業者1000人を超えたが、1972年︵昭和47︶閉鉱、鉱山集落も姿を消した。面積95.27平方キロメートル、人口366︵2020︶。
﹇大脇保彦﹈
﹃﹃大川村史﹄︵1962・大川村︶﹄
大川(福島県)
おおかわ
福島県中西部を流れる川。栃木県境の荒海山(あらかいさん)︵1580メートル︶北東斜面に発し、南会津郡の東部を潤しつつ会津盆地で日橋川(にっぱしがわ)に合流する。阿賀野(あがの)川水系阿賀川の上流部にあたる︵最上流部は荒海川という︶。延長約60キロメートル、流域面積約977平方キロメートル。檜沢(ひさわ)川、加藤谷(かとだに)川、鶴沼(つるぬま)川、宮川などの支流をあわせる。塔のへつり︵岪︶などの峡谷、大川ダムなどがあり、大川羽鳥(はとり)県立自然公園の一部をなす。
﹇中村嘉男﹈
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大川[市] (おおかわ)
福岡県南西部の市。1954年大川町と三又,木室,田口,川口,大野島の5村が合体,市制。人口3万7448︵2010︶。筑後川東岸の河口に近い三角州平野を占め,1751年︵宝暦1︶久留米有馬藩が若津港を開いてから筑紫平野の物資集散の港町として発展した。1536年︵天文5︶に始まるといわれる家具・建具の生産は筑後川上流域の良質で豊富な木材を利用して著しく発達し,全国有数の木工業の町となった。建具はアルミサッシにおされて衰えたが,家具中心の木材・木工業は工業出荷額の9割以上を占め,小工場が多い。クリーク網の密な水田地帯が広がり,イグサの栽培と加工,有明海のノリ養殖が盛んで,筑後川でエツ︵カタクチイワシ科の魚︶を特産し,近年ヒゴイや金魚の生産も発達している。重要文化財の本殿・石造五重塔のある風浪神社,青木繁,坂本繁二郎らの絵画を蔵する清力美術館,古賀政男記念館・生家,佐賀線廃止︵1987︶後も保存される筑後川の昇開式鉄橋などがある。
執筆者‥土井 仙吉
大川[村] (おおかわ)
高知県北部,土佐郡の村。人口411︵2010︶。吉野川上流域に位置し,北は愛媛県に接する。四国山地にあって標高1000m以上の高峰に囲まれ,ほぼ全域が山林からなる。中央部を東流する吉野川と支流の大北川,瀬戸川の流域にわずかに耕地が開け,集落が点在する。木材のほか,コウゾ,ミツマタなどを産し,林業を主としてきたが,近年は肉用牛の飼育や薬用植物オウレンとシイタケの栽培などにも力を入れている。1973年完成の早明浦︵さめうら︶ダムにより,おもな集落の大半が水没し,また同年銅山として古い歴史を有する白滝鉱山が閉山して,人口が激減し,過疎化が著しい。
執筆者‥萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大川
おおかわ
域。旧町名。 1955年富田村と松尾村が合体して大川村となり,1961年町制。 2002年4月津田町,志度町,寒川町,長尾町と合併し,さぬき市となる。播磨灘に注ぐ津田川上・中流域を占める。南部の山地の大部分は花崗岩類からなる。中心集落の田面 (たづら) を中心として,大正初年に輸出用貝ボタンの製造を開始して以来ポリエステルボタンや手袋の主産地で,ボタンは海外に輸出される。四国随一の規模をもつ富田茶臼山古墳は国指定史跡。津田川上流に大川ダム,弥勒池周辺に自然休養村,このほか国の重要文化財である旧恵利家住宅などがある。北部を長尾街道が通る。
大川
おおかわ
福島県南西部,福島・栃木県境の荒海山に源を発し,会津盆地で日橋川と合する阿賀野川の上流部。上・中流部は深い峡谷で,下郷町域の楢原郷,九々布郷,湯野原郷では台地を深く刻み,各所に比高 100mあまりの絶壁をつくり,奇岩景勝の地をなす。天然記念物に指定されている﹁塔のへつり﹂の奇岩は特に有名。川沿いに会津鉄道,日光街道 (国道 121号線) が通る。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
普及版 字通
「大川」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報