デジタル大辞泉 「大慶」の意味・読み・例文・類語 たい‐けい【大慶】 大きなよろこび。この上なくめでたいこと。「大慶至極に存じます」[類語]慶賀・同慶・御慶・恭賀・謹賀・奉賀・奉祝・慶祝・慶福・祝賀・祝着・祝福・祝勝・めでたい・喜ぶ・喜ばしい・慶事・吉事・好事・おめでた・寿ことぶき・吉きち・大吉・祝い事・晴れの日・賀する・祝う・祝する・ことほぐ・佳日・吉日・恐悦 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「大慶」の意味・読み・例文・類語 たい‐けい【大慶】 (一)〘 名詞 〙 ( 形動 ) この上なくめでたいこと。大いに祝いよろこぶこと。また、そのさま。﹁大慶至極﹂ (一)[初出の実例]﹁かやうに御意に懸けられ候ふ条、身に取りて大慶なり﹂(出典‥平治物語︵1220頃か︶上) (二)[その他の文献]︹後漢書‐明帝紀︺ 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「大慶」の意味・わかりやすい解説 大慶 (たいけい)Dà qìng 目次 大慶油田 中国,東北部,黒竜江省南西部松嫩︵しようのん︶平原上の省直轄の石油工業都市。人口138万︵2000︶。旧名安達。もとトルベート︵杜爾伯特︶旗の遊牧地だった湿草原だが,1906年︵光緒32︶安達庁がおかれ,13年安達県をおき,60年肇州県の一部を合併,安達市となり,79年大慶市と改名︵現在の安達市は大慶市の東南に隣接する県級市︶。1959年国慶節直前に油田の試掘に成功したので大慶と命名された,中国最大の油田地帯の中心都市。竜鳳,薩爾図︵サルト︶が中心市街地で,石油化学コンビナートが立地する。浜洲鉄道︵ハルビン~マンチュリー︶に沿い,通譲線︵通遼~譲湖路︶が分岐,北京,撫順,大連までパイプラインが通じる。 執筆者‥河野 通博 大慶油田 ハルビンの北西約160km,チチハルの南東約120kmに位置し,20以上の油田で構成される油田群の総称。1959年に発見されたが,開発の成功は64年に初めて中国政府によって発表された。生産が開始されたのは1960年である。南北約100km,東西約15~20kmの広がりをもち,主要油層は下部白亜系に属する約10枚の砂岩で,深度は1000m前後である。油井1坑当りの生産量は日産数十kl程度と低く,大規模な水攻法等の二・三次回収法が実施されている。埋蔵量は約130億バレルと推定され,中国では最大の油田であるが,世界的には17位に位置する。1976年以来毎年5000万tの原油を連続して産出し,95年時点で94億バレルが生産されている。油質は比重33.1°API,硫黄分0.11%であるが,ワックス分が多く︵20%前後︶,流動点が高い︵+32.5℃︶のが特徴であり,重油分の得率が70.1%という特異なものである。ワックス分が多いため輸送にあたっては,原油が凝固するのを防ぐため送油管の外側を50℃の温水を満たしたパイプで包んでいる。 執筆者‥加藤 正和 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「大慶」の意味・わかりやすい解説 大慶たいけい / ターチン 中国、黒竜江(こくりゅうこう)省南西部の地級市。旧称は安達(あんだつ)。松嫩(しょうどん)平原の中西部に位置し、南部は吉林(きつりん)省と接する。5市轄区、3県、1自治県を管轄する︵2017年時点︶。人口281万5500︵2011︶。1959年中国屈指の大油田︵大慶油田︶が発見され、労働者を大量投入する人海戦術的な方式で、石油工業都市として発展した。大躍進期の﹁工業は大慶に学べ﹂というスローガンは有名。過度な採掘により、2000年前後から原油生産が激減し、2002年には失業労働者による大規模なデモが発生した。浜洲(ひんしゅう)線、通譲線︵通遼(つうりょう)―大慶︶、2015年開通の哈斉(はせい)旅客専用線︵ハルビン―チチハル︶などが通じ、綏満高速道路︵綏芬河(すいふんが)―満洲里(まんしゅうり)︶、大広高速道路︵大慶―広州(こうしゅう)︶も通る。2009年には、市中心部の北約20キロメートルに大慶サルト空港が開港した。 大慶油田開発の功労者、油田労働者として著名な王進喜(おうしんき)︵1923―1970︶の記念館がある。市東部の竜鳳(りゅうほう)湿地は自然保護区に指定されている。 ﹇周 俊 2018年1月19日﹈ [参照項目] | 黒竜江(省) | 大慶油田 | 浜洲線 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
百科事典マイペディア 「大慶」の意味・わかりやすい解説 大慶【たいけい】 中国,黒竜江省南西部,松嫩平原中部にある油田。1959年9月に発見され,中華人民共和国建国10周年を祝う国慶節︵10月1日︶直前であったことから︿大慶﹀と命名された。1960年から生産が開始され,年間5000万tの原油を生産し,中国一の油田となったが,近年は生産量がピークを過ぎて下降線をたどりつつある。1970年代ごろ︿工業は大慶に学び,農業は大寨に学ぼう﹀のスローガンが打ち出され,中国の工業部門の模範とされた。1979年旧安達市を改組して大慶市が設立された。浜洲︵ハルビン〜マンチュリー︶,通譲︵通遼〜譲湖路︶両鉄路が通じている。大慶市の人口は135万人︵2014︶。 →関連項目玉門|黒竜江﹇省﹈ 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
普及版 字通 「大慶」の読み・字形・画数・意味 【大慶】たいけい めでたい。晋・王羲之︹十七帖、六︺足下今年(まさ)に七十なる耶(か)。體氣常に佳なるを知る。此れ大慶なり。想ふに復(ま)た懃(ねんご)ろに頤(いやう)を加ふるならん。 字通﹁大﹂の項目を見る。 出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大慶」の解説 大慶 だいきょう 1732-1818 江戸時代中期-後期の僧。 享保(きょうほう)17年生まれ。浄土真宗。備後(びんご)(広島県)大東坊の住職。霊巌(れいがん),隆山(りゅうざん),智幢(ちどう)らにまなぶ。寛政-享和のころ,三業惑乱(さんごうわくらん)(本願寺派の教義をめぐる紛争)がおこると,京都に滞在して宗門の護持につとめた。文化15年3月死去。87歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例