浄土真宗(読み)ジョウドシンシュウ

デジタル大辞泉 「浄土真宗」の意味・読み・例文・類語

じょうど‐しんしゅう〔ジヤウド‐〕【浄土真宗】

 
()()()()寿  

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精選版 日本国語大辞典 「浄土真宗」の意味・読み・例文・類語

じょうど‐しんしゅうジャウド‥【浄土真宗】

 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄土真宗」の意味・わかりやすい解説

浄土真宗
じょうどしんしゅう


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歴史


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教義


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百科事典マイペディア 「浄土真宗」の意味・わかりやすい解説

浄土真宗【じょうどしんしゅう】

 
()寿寿()8()1602西西
 

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改訂新版 世界大百科事典 「浄土真宗」の意味・わかりやすい解説

浄土真宗 (じょうどしんしゅう)

親鸞を宗祖とする仏教の一派。略して真宗ともいう。〈浄土三部経〉(《無量寿経》《観無量寿経》《阿弥陀経》)を正依の聖典とする。真宗の名は中国でもみられ,唐の宗密の《盂蘭盆経疏》には〈真宗未だ至らざるに〉とあり,法照の《浄土五会法事讃》には〈念仏成仏是真宗〉とある。しかしこれらは,真実の教という謂で,宗名ではなかった。

 日本では,はじめ浄土宗を浄土真宗ともいった。浄土宗の聖冏(しようげい)の《浄土真宗付法伝》には,浄土真宗の八祖相承(経巻相承),六祖相承(知識相承)があげられ,妙瑞の《鎮西名目問答奮迅鈔》には,浄土宗を浄土真宗というといわれている。後小松天皇は,金戒光明寺(こんかいこうみようじ)に勅額〈浄土真宗最初門〉を下付している。法然の弟子親鸞もまた,浄土真宗あるいは真宗の名を使用した。《教行信証》教巻の初めに〈真実之教浄土真宗〉と記し,本文に〈謹んで浄土真宗を案ずるに〉といっている。このほか,親鸞の著述に,浄土真宗・真宗の名を記すところが多い。もちろん一宗を開く意志はなかったから特定の宗派名として使用したわけではないが,浄土真宗の伝灯として三国の七祖名(インドの竜樹(りゆうじゆ),天親(てんじん),中国の曇鸞(どんらん),道綽(どうしやく),善導,日本の源信,法然)をあげ,自己の信ずる宗教として浄土真宗の名を用いた。本願寺第8代蓮如は,浄土真宗を宗派名として意識し強調した。当時,真宗を一向宗と呼ぶものが多かったが,蓮如は1473年(文明5)9月下旬の《御文》の中で,〈夫当宗を一向宗とわが宗よりもまた他宗よりもその名を一向宗といへることさらにこゝろゑがたき次第なり。祖師聖人はすでに浄土真宗とこそおほせさだめられたり(中略)当流のことは自余の浄土宗よりもすぐれたる一義あるによりて我聖人も別して真の字をおきて浄土真宗とさだめたまへり〉といっている。この指摘は,浄土宗と真宗の間に大きな溝を作った。1774年(安永3)東西本願寺が宗名として浄土真宗の公称を幕府に上訴し,江戸増上寺がこれに反対し,いわゆる宗名事件となった。89年(寛政1)幕府は本願寺に旧称に復すよう命じ,さらに後,輪王寺宮の仲裁で宗名問題は三万日の御預けとなった。幕府も随分苦慮したことであろう。1869年(明治2)大年寄は,従来東西本願寺の末寺などが門徒宗と称してきたが,一向宗と公称するよう命じた。同年東西本願寺はその処置に抗し,浄土真宗の公称について,弁官へ嘆願書を提出したが許されなかった。71年京都府は,宗名を一向宗と称するよう達を出したが,東西本願寺は直ちに浄土真宗の公称許可を京都府に願い出た。72年政府はようやく一向宗を真宗と称することを許可したが,浄土宗の立場を考えてか,浄土真宗の名を許さなかった。81年6月,東本願寺派を真宗大谷派,西本願寺派を真宗本願寺派と改めた。第2次大戦後,西本願寺は宗名に浄土を付け浄土真宗本願寺派と称するようになった。しかし東本願寺等真宗9派(大谷派,高田派,仏光寺派,木辺派,興正寺派,出雲路派,山元派,誠照寺派,三門徒派)は,従来のまま真宗と称している。
一向宗 →本願寺
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浄土真宗」の意味・わかりやすい解説

浄土真宗
じょうどしんしゅう

親鸞の開いた,阿弥陀仏の浄土に生れて悟りを開くことを目的とする仏教の一派。真宗とも称し,俗に一向宗,門徒宗などとも呼ばれる。浄土宗と同じく,『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経を根本経典とし,そのうち『無量寿経』をおもなものとする。親鸞の主著『教行信証』が後世,立教開宗の根本聖典とされた。親鸞は法然の弟子で,悪人正機などの説とともに,徹底した他力による往生を主張し,信心を特に強調した。親鸞の没後,墓所が東山大谷に移され (1272) ,これが本願寺のもととなった。また特に第8世蓮如が福井県をはじめ北陸地方に布教し,きわめて盛んとなったが,徳川家康の保護を受けた教如が京都東六条に別の本願寺を建てるに及んで東西の本願寺が分立した。このほかに,高田派,仏光寺派などの諸派がある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「浄土真宗」の解説

浄土真宗
じょうどしんしゅう

鎌倉初期,親鸞の開いた仏教の新宗派
真宗・一向宗ともいう。親鸞の唱えた絶対他力の信仰と悪人正機説に基づいており,浄土宗の一派ではあるが,法然の教えをさらに深化させたものといえる。親鸞の没後,宗門はいわゆる真宗十派に分かれたが,いずれもおもに農民層を布教の対象とした。飛躍的に宗勢が強まったのは特に本願寺派で,室町中期,蓮如 (れんによ) は,石山本願寺を中心に北陸・東海・近畿の地域で発展し,また本願寺の教団組織(講)も強化された。中世末期には門徒組織の拡大,農民層の成長を背景に,強力な一向一揆がおこった。本山である京都の本願寺は,江戸初期に東本願寺・西本願寺に分かれ,今日に至っている。

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葬儀辞典 「浄土真宗」の解説

浄土真宗

■本尊/阿弥陀如来■宗祖/親鸞(しんらん)■本山/本願寺(京都)浄土真宗は、「往生即成仏」という教えで、そのため儀式としての授戒や引導はありません。葬儀は往生の本懐をとげた故人の徳を偲ぶために行われます。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「浄土真宗」の解説

浄土真宗
じょうどしんしゅう

真宗(しんしゅう)

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世界大百科事典(旧版)内の浄土真宗の言及

【異安心】より


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【一向一揆】より

…浄土真宗(真宗ともいう)本願寺派の坊主や農民,商工業者,武士などの門徒が主導し,あるいは門徒が他の勢力と結んだり,本願寺法主に動員されたりしておこした武装蜂起,闘争の総称。1466年(文正1)から1582年(天正10)に至る約120年間にわたって,近畿,北陸,東海などの諸地域で起き,室町末~戦国時代の政治史の中で,重要な役割を果たした。…

【一向宗】より

…52年(正平7∥文和1)比叡山の衆徒によって破却された仏光寺の坊舎を,《祇園執行日記》は〈一向宗住居〉と記し,文明の加賀一向一揆の勃発について《大乗院寺社雑事記》は〈一向宗土民蜂起ス〉と記している。 本願寺は,一向宗と呼ばれることを嫌い,とりわけ蓮如は宗祖親鸞が一向宗という言葉を使わず,浄土真宗と称していることから,自己の教団を浄土真宗と主張した。しかし近世に至ってもなお,一向宗は親鸞門流の呼名として一般化していた。…

【親鸞】より

浄土真宗の開祖。父は皇太后宮大進日野有範。…

【僧】より

…僧の恋愛や妻帯や女犯は《今昔物語集》《古事談》《沙石集(しやせきしゆう)》などの説話文学にしばしば登場し,公然の秘密だった。前近代において,教団として正式に僧の妻帯を認めたのは,非僧非俗の立場をつらぬいて念仏を説いた親鸞の浄土真宗であった。親鸞の血をついだ子孫が,代々本願寺の法嗣となり,末寺でも僧侶は家族と生活をともにしながら弘通(ぐづう)した。…

【被差別部落】より

…相互扶助精神の強いことは,被差別部落の人々にきわだつ特質の一つなのである。
[信仰と伝承]
 被差別部落の信仰という点では,真宗(浄土真宗)ならびに白山信仰との密接な関係があげられる。中世の末期から近世の初頭にかけての一向一揆においては,各地で少なからぬ被差別民がこれに深く関与していた。…

※「浄土真宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」