デジタル大辞泉
「安部公房」の意味・読み・例文・類語
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あべ‐こうぼう【安部公房】
(一)小説家、劇作家。東京の生まれ。本名、公房(きみふさ)。﹁近代文学﹂などに拠り、前衛的な手法で戦後文学に新生面を開いた。代表作に、小説﹁砂の女﹂﹁他人の顔﹂﹁燃えつきた地図﹂、戯曲﹁友達﹂など。大正一三~平成五年︵一九二四‐一九九三︶
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安部公房
あべこうぼう
(1924―1993)
小説家、劇作家。大正13年3月7日東京・滝野川に生まれる。本名公房(きみふさ)。1948年︵昭和23︶東京大学医学部卒業。幼少年期を満州︵中国東北地方︶の奉天︵瀋陽(しんよう/シェンヤン)︶で過ごし、そこで敗戦を迎えた。そのときの混乱した異常体験は、﹃けものたちは故郷をめざす﹄︵1957︶に描かれている。戦後、花田清輝(きよてる)らの﹁夜の会﹂に参加、﹃近代文学﹄同人となり本格的な作家活動を始め、﹃終りし道の標(しる)べに﹄︵1948︶によって実存主義的な作家としてデビューする。やがて思想的にはコミュニズムに接近、シュルレアリスムを取り入れたアバンギャルド芸術を志向し、1951年﹃赤い繭(まゆ)﹄で戦後文学賞、﹃壁―S・カルマ氏の犯罪﹄で芥川(あくたがわ)賞を受賞して、特異な才能をもつ戦後作家として文壇的地位を確立する。その後、記録文学やSFへの関心が加わり、﹃闖入者(ちんにゅうしゃ)﹄︵1951︶、﹃飢餓(きが)同盟﹄︵1954︶、﹃第四間氷期﹄︵1959︶、戯曲﹃制服﹄︵1954︶、﹃幽霊はここにいる﹄︵1959︶など反リアリズム的な実験を試みるが、1962年﹃砂の女﹄で飛躍的な作家的成長を遂げ、文壇内外の高い評価を受けた。1960年代以降は、人間の自由をめぐる弁証法的な思考を軸に、共同体への否定の論理をモチーフにした作風が濃厚となる。﹃他人の顔﹄︵1964︶、﹃燃えつきた地図﹄︵1967︶、﹃箱男﹄︵1973︶、﹃密会﹄︵1977︶、戯曲﹃友達﹄︵1967︶、﹃棒になった男﹄︵1969︶などは、都市を舞台に風刺と幻想に満ちた手法で現代社会の病理を鋭くえぐっている。社会的に匿名存在であることの夢を描いた﹃箱男﹄、巨大な病院を舞台に医学と性のグロテスクな光景が繰り広げられる﹃密会﹄など、都市を舞台に意欲的に取り組んだのち、1980年代に入ると現代文明に対する危機意識をいっそう強め、﹃方舟(はこぶね)さくら丸﹄︵1984︶では、偶発核戦争の危機と生き残りをテーマに、核シェルターをつくりあげた人物の悲喜劇を描く。また﹃カンガルー・ノート﹄︵1991︶は、奇病に取りつかれた主人公が生命維持装置付きの浮遊するベッドとともに終末医療の地獄や死すら産業化されている冥界(めいかい)を遍歴する。フロッピーに残された遺作﹃飛ぶ男﹄︵1994︶に至るまで、国家の超越や個の自由という課題を見据えつつ、都市という迷路のなかで、﹁未知な他者というものへの通路を探る﹂というモチーフがさまざまに変奏され、前衛作家として小説というジャンルの最先端を疾駆し続けた。1973年より演劇グループ﹁安部公房スタジオ﹂を主宰。外国語訳された作品も多く、もっとも国際的な作家の一人であった。平成5年1月22日、急性心不全で死去。評論集に﹃砂漠の思想﹄︵1965︶、﹃内なる辺境﹄︵1971︶、対話集に﹃都市への回路﹄︵1980︶などがある。
﹇石崎 等﹈
﹃﹃飛ぶ男﹄︵1994・新潮社︶﹄▽﹃﹃安部公房全集﹄全29巻︵1997~2000・新潮社︶﹄▽﹃﹃終りし道の標べに﹄︵講談社文芸文庫︶﹄▽﹃﹃壁﹄﹃砂の女﹄﹃他人の顔﹄﹃燃えつきた地図﹄﹃箱男﹄﹃密会﹄﹃方舟さくら丸﹄﹃カンガルー・ノート﹄︵新潮文庫︶﹄▽﹃﹃榎本武揚﹄︵中公文庫︶﹄▽﹃渡辺広士著﹃安部公房論﹄︵1976・審美社︶﹄▽﹃佐々木基一編﹃作家の世界・安部公房﹄︵1978・番町書房︶﹄▽﹃高野斗志美著﹃安部公房論﹄︵1979・花神社︶﹄▽﹃日本文学研究資料刊行会編﹃日本文学研究資料叢書 安部公房・大江健三郎﹄︵1980・有精堂出版︶﹄▽﹃岡庭昇著﹃花田清輝と安部公房――アヴァンガルド文学の再生のために﹄︵1980・第三文明社︶﹄▽﹃ナンシー・シールズ著、安保大有訳﹃安部公房の劇場﹄︵1997・新潮社︶﹄
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安部 公房
アベ コウボウ
昭和・平成期の小説家,劇作家
- 生年
- 大正13(1924)年3月7日
- 没年
- 平成5(1993)年1月22日
- 出生地
- 東京・滝野川
- 出身地
- 旧満州・奉天
- 学歴〔年〕
- 東京大学医学部〔昭和23年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 戦後文学賞(第2回)〔昭和26年〕「赤い繭」,芥川賞(第25回)〔昭和26年〕「壁―S・カルマ氏の犯罪」,岸田演劇賞(第5回)〔昭和33年〕「幽霊はここにいる」,読売文学賞(第14回・小説賞)〔昭和37年〕「砂の女」,年間代表シナリオ(昭37年度)「おとし穴」,年間代表シナリオ賞(昭39年度)「砂の女」,谷崎潤一郎賞(第3回)〔昭和42年〕「友達」,芸術選奨文部大臣賞(第22回・文学・評論部門)〔昭和46年〕「未必の故意」,読売文学賞(第26回・戯曲賞)〔昭和49年〕「緑色のストッキング」
- 経歴
- 在学中に“夜の会”に参加し、昭和23年「終りし道の標べに」で文壇にデビュー。26年「壁―S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞受賞。独自の手法を駆使して小説・戯曲の新分野を切り開く。48年演劇グループ“安部公房スタジオ”を結成、自ら演出にもあたった。作品の多くは海外で翻訳・上演され国際的評価も高い。小説に「砂の女」「他人の顔」「榎本武揚」「燃えつきた地図」「箱男」「方舟さくら丸」「カンガルー・ノート」など、戯曲に「幽霊はここにいる」「友達」「未必の故意」など。「安部公房全作品」(全15巻 新潮社)、「安部公房全集」(全29巻 新潮社)がある。戦後文学賞、岸田演劇賞、読売文学賞、谷崎文学賞など受賞多数。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
安部公房【あべこうぼう】
小説家,劇作家。本名公房(きみふさ)。東京都生れ。東大医学部卒。花田清輝の影響をうけ,シュルレアリスムに関心をもつ。︽壁 S・カルマ氏の犯罪︾︵1951年︶で芥川賞を受賞。︽砂の女︾︵1962年︶などシュルレアリスムの手法で人間の不条理を描いた作品により戦後文学に新風を送るとともに,日本現代文学を代表する一人として海外でも広く読まれた。小説には他に︽榎本武揚︾︽箱男︾など。また︽どれい狩り︾︽幽霊はここにいる︾︽未必の故意︾などの戯曲があり,1973年演劇グループ安部公房スタジオを設立して演劇界にも足跡を残した。
→関連項目近代文学|勅使河原宏|俳優座
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安部公房
あべこうぼう
[生]1924.3.7. 東京
[没]1993.1.22. 東京
小説家,劇作家。本名,公房 (きみふさ) 。 1948年東京大学医学部卒業。敗戦,父の死のショックもあってインターンを放棄,『近代文学』および「夜の会」に参加,特に後者のリーダー花田清輝やカフカの影響下に出発し,戦後文学賞受賞作『赤い繭』 (1950) ,芥川賞受賞作『壁-S・カルマ氏の犯罪』 (51) で注目を浴びた。 52年『人民文学』に参加し,『けものたちは故郷をめざす』 (57) ,『石の眼』 (60) ,『砂の女』 (62) ,『他人の顔』 (64) などで社会や人間関係の閉鎖性と脱出の可能性を超現実的,前衛的手法で追求。『幽霊はここにいる』 (58) などの戯曲,『棒になった男』 (57) などのラジオドラマ,『日本の日食』 (59) などのテレビドラマ,および映画にも幅広く活躍した。
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安部公房 あべ-こうぼう
1924-1993 昭和後期-平成時代の小説家,劇作家。
大正13年3月7日生まれ。昭和23年東大医学部在学中「終りし道の標(しる)べに」を発表。実存主義的な作家として知られる。花田清輝(きよてる)らの「夜の会」に参加,シュールレアリスムやマルクス主義に接近。26年「壁―S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞。「砂の女」で38年読売文学賞,43年フランス最優秀外国文学賞。同書は世界各国で翻訳され,国際的作家となる。平成5年1月22日死去。68歳。東京出身。本名は公房(きみふさ)。小説はほかに「燃えつきた地図」,戯曲に「友達」など。
【格言など】みなさん自身の部屋が世界の果で,壁はそれを限定する地平線にほかならぬ(「壁」)
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安部 公房 (あべ こうぼう)
生年月日:1924年3月7日
昭和時代;平成時代の小説家;劇作家
1993年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の安部公房の言及
【砂の女】より
…安部公房(1924‐93)の小説。書下ろし長編として1962年に新潮社から刊行。…
【どれい狩り】より
…安部公房(1924‐93)の戯曲。《文芸》1954年12月号,55年3月号にまず小説として発表(題名は《奴隷狩》)。…
【ブレヒト】より
… 第2次大戦後ブレヒトの活動が再び国際的な注目を浴びだした50年代から,[千田是也]が精力的に導入を試み,53年の《第三帝国の恐怖と貧困》の上演以後,俳優座や若手劇団による上演が活発化し,合同公演《ガリレイの生涯》(1958)で異化効果や叙事演劇の問題が論じられるようになった。ブレヒトを単純な啓蒙政治劇とみた保守派や,リアリズムを逸脱するとみた教条的進歩派の誤解はあったが,その方法論は,安部公房,宮本研,福田善之などの劇作にも影響を与えだした。60年代の政治的な季節には,既成の硬直化した演劇の反措定として,教育劇も含めた方法の政治的な有効性がクローズ・アップされた。…
※「安部公房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」