デジタル大辞泉 「寛弘」の意味・読み・例文・類語 かん‐こう〔クワン‐〕【寛×弘】 ﹇名・形動﹈広いこと。特に、心や度量が広いこと。また、そのさま。寛大。 ﹁―にして偏曲ならざる人﹂︿中村訳・西国立志編﹀ [類語]広い・寛(かん)闊(かつ)・寛大・寛容・広量・大(おお)様(よう)・大らか・おっとり・さりげない・何気ない・それとなく・それとなしに・何心ない・遠回し・気軽い・何とはなし・鷹(おう)揚(よう)・磊(らい)落(らく)・開(かい)豁(かつ)・闊達・豪胆・豪放・剛毅・放胆・大胆・太っ腹・雅量・大量・悠揚・悠然・泰然・泰然自若・綽(しゃ)然(くぜん)・自若・悠悠・浩然・堂堂・正正堂堂・毅然・肝が据わる・腹が据わる かんこう【寛弘】[年号] 平安中期、一条天皇・三条天皇の時の年号。1004年7月20日~1012年12月25日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「寛弘」の意味・読み・例文・類語 かん‐こうクヮン‥【寛弘】 (一)[1] 〘 名詞 〙 ( 形動 ) ひろいこと。特に心や度量がひろいこと。また、そのさま。寛広。寛宏。 (一)[初出の実例]﹁寛弘の心広大の量あるものあり﹂(出典‥西国立志編︵1870‐71︶︿中村正直訳﹀九) (二)[その他の文献]︹漢書‐元帝紀賛︺ (二)[2] 平安中期、一条、三条両天皇の代の年号。天変地災により長保六年︵一〇〇四︶七月二〇日改元。寛弘八年六月以降三条天皇。寛弘九年一二月二五日長和と改元。出典は﹁漢書‐元帝紀賛﹂の﹁寛弘尽レ下、出二於恭倹一、号令温雅、有二古之風烈一﹂。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
普及版 字通 「寛弘」の読み・字形・画数・意味 【寛弘】かん(くわん)こう ゆるやかでひろい。︹南史、梁簡文帝紀︺長ずるにんで、宇弘、未だ嘗(かつ)て喜慍(きうん)︵喜怒︶の色を見ず。嚴なることの(ごと)し。 字通﹁寛﹂の項目を見る。 出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
日本の元号がわかる事典 「寛弘」の解説 かんこう【寛弘】 日本の元号︵年号︶。平安時代の1004年から1012年まで、一条(いちじょう)天皇、三条(さんじょう)天皇の代の元号。前元号は長保(ちょうほう)。次元号は長和(ちょうわ)。1004年︵長保6年︶7月20日改元。天変地妖の凶兆を避けるために行われた。﹃礼記(らいき)﹄を出典とする命名。寛弘年間初めに花山(かざん)法皇を中心に編纂された﹃拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)﹄が成立した。この頃が王朝宮廷文学の最盛期で、一条天皇の宮廷では紫式部・和泉式部らが活躍した。1011年︵寛弘8︶、一条天皇は三条天皇に譲位した。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報