小栗忠順(読み)おぐりただまさ

精選版 日本国語大辞典 「小栗忠順」の意味・読み・例文・類語

おぐり‐ただまさ【小栗忠順】

 

(一)()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「小栗忠順」の意味・わかりやすい解説

小栗忠順 (おぐりただまさ)
生没年:1827-68(文政10-明治1)


18596601使使使611退使6524066600退684

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朝日日本歴史人物事典 「小栗忠順」の解説

小栗忠順

 
1.4.6(1868.5.27)
10(1827)
2(1855),69,使,1911,1(1861)5,726,,,,341(1864)8,,253使,,3(1867)10,姿,1(1868)3,4,,,<参考文献>
()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小栗忠順」の意味・わかりやすい解説

小栗忠順
おぐりただまさ

 
[]10(1827).
[]4(1868).4.6. 
1 (1860)  ( ) 使1 (1861) 2 (1862) 1 (1865) 54 (1868) 1  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小栗忠順」の意味・わかりやすい解説

小栗忠順
おぐりただまさ
(1827―1868)

幕末の幕臣。慶応(けいおう)期の徳川幕府を支えた中心人物の一人。江戸の生まれ。幼名を剛太郎、また襲名を又一ともいう。のち豊後守(ぶんごのかみ)、さらに上野介(こうずけのすけ)と改めた。1859年(安政6)目付となり、1860年(万延1)には日米修好通商条約批准書交換のため新見正興(しんみまさおき)、村垣範正(むらがきのりまさ)に従って渡米、帰朝後外国奉行(ぶぎょう)となる。1861年(文久1)のロシア軍艦による対馬(つしま)事件に際してはその折衝にあたり、1862年勘定(かんじょう)奉行勝手方、さらに勘定奉行、歩兵奉行兼任、1863年陸軍奉行となり、この間、文久(ぶんきゅう)期(1861~64)に幕府の三兵(歩・騎・砲)軍事改革を行った。1864年(元治1)には軍艦奉行、翌1865年(慶応1)にはふたたび勘定奉行勝手方、1866年海軍奉行、ついで翌年陸軍奉行を兼任し、慶応期の幕政改革を親仏派として栗本鋤雲(くりもとじょうん)とともに担い、横須賀造船所設立をはじめ、幕府の政治、財政、軍事の各分野で改革を推進しようとした。薩長(さっちょう)に対しては主戦論を唱えたが、幕軍が鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れるや上州(群馬県)へ隠退、新政府軍に捕らえられて慶応(けいおう)4年閏(うるう)4月5日斬(ざん)に処せられた。

[田中 彰]


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百科事典マイペディア 「小栗忠順」の意味・わかりやすい解説

小栗忠順【おぐりただまさ】

江戸末期の幕臣。初め豊後守,のち上野介。1860年日米修好通商条約批准の使節として渡米。帰国後は外国奉行,勘定奉行,軍艦奉行などを歴任し,幕政改革に活躍。親フランス派の指導者として紙幣発行,洋式軍隊の編制訓練,製鉄所・造船所建設等の施策を遂行。戊辰戦争では抗戦論を唱えたがいれられず,領地上野へ帰った。1868年新政府軍に捕縛され斬られる。
→関連項目幕末遣外使節三野村利左衛門ロシア軍艦対馬占領事件

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小栗忠順」の解説

小栗忠順 おぐり-ただまさ

1827-1868 幕末の武士。
文政10年生まれ。小栗忠高の子。幕臣。万延元年日米修好通商条約批准書交換の使節監察として渡米。外国,勘定,軍艦などの各奉行をつとめ財政改革,軍制改革をおこなう。大政奉還に反対し,戊辰(ぼしん)戦争では将軍徳川慶喜に徹底抗戦をすすめた。慶応4年閏(うるう)4月6日知行地の上野(こうずけ)群馬郡で新政府軍に捕らえられ処刑された。42歳。通称は剛太郎,又一,上野介。
【格言など】一言で国を滅す言葉がある(幕臣たちの「どうにかなる」という優柔不断さを批判)

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旺文社日本史事典 三訂版 「小栗忠順」の解説

小栗忠順
おぐりただまさ

1827〜68
幕末の幕臣
1860年日米修好通商条約の批准交換のため,幕府遣外使節の一員として新見正興 (しんみまさおき) に随行し渡米。帰国後外国奉行・軍艦奉行・歩兵奉行などを歴任した。フランスの援助をうけて幕政改革に尽力し,戊辰 (ぼしん) 戦争では抗戦論を唱えて官軍に捕らえられ斬首。

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世界大百科事典(旧版)内の小栗忠順の言及

【倉渕[村]】より

…過疎地域に指定されている。東善寺に末期の徳川幕府を支えた小栗忠順(ただまさ)の墓と小栗公遺品館がある。【千葉 立也】。…

※「小栗忠順」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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