尊王攘夷運動(読み)そんのうじょういうんどう

改訂新版 世界大百科事典 「尊王攘夷運動」の意味・わかりやすい解説

尊王攘夷運動 (そんのうじょういうんどう)




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百科事典マイペディア 「尊王攘夷運動」の意味・わかりやすい解説

尊王攘夷運動【そんのうじょういうんどう】

 
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西  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尊王攘夷運動」の意味・わかりやすい解説

尊王攘夷運動
そんのうじょういうんどう

江戸幕府の外交政策と専制体制を批判、反対した幕末の政治運動。

遠山茂樹

本来の性格


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改革運動への発展


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尊王攘夷運動」の意味・わかりやすい解説

尊王攘夷運動
そんのうじょういうんどう

 
 () 1 (1854) 調 () 西5調貿鹿 ( ) 退  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「尊王攘夷運動」の解説

尊王攘夷運動
そんのうじょういうんどう

幕末の開港前後から尊王・攘夷を掲げ,幕府の専制と開国政策を批判し行動した政治運動。1858年(安政5)の日米修好通商条約調印をめぐり,違勅に対する尊王論,条約締結に反対する攘夷論が結びつき,大老井伊直弼(なおすけ)への反対運動のスローガンとなった。当初は反幕府ではなかったが,外圧の深化と和宮降嫁問題を契機として,63年(文久3)以降公武合体運動との対立のなかで反幕府の色彩を強めた。朝廷内にも尊攘勢力が伸張し,中・下級士族や豪農商層・神官・国学者からも尊攘運動に入る者が多出した。一時期京都で尊攘派が主導権をにぎったが,8月18日の政変により公武合体派が巻き返し,尊攘派公卿は萩藩内に追われた。その後,63~64年の薩英戦争,四国連合艦隊の下関砲撃事件,禁門の変で尊攘運動は質的転換をとげ,公武合体運動との対決・止揚のなかから討幕派が登場する。

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旺文社日本史事典 三訂版 「尊王攘夷運動」の解説

尊王攘夷運動
そんのうじょういうんどう

 

1860'633  

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世界大百科事典(旧版)内の尊王攘夷運動の言及

【開国】より


綿綿退

 調

【明治維新】より


︿調︿︿︿︿

※「尊王攘夷運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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