精選版 日本国語大辞典 「建徳」の意味・読み・例文・類語 けんとく【建徳】 (一)南北朝時代、南朝の長慶天皇の代の年号。北朝の応安三年から同五年にあたる。正平二五年︵一三七〇︶七月二四日改元。建徳三年︵一三七二︶四月、文中と改元。出典は﹁文選﹂の﹁建二至徳一以創二洪業一﹂。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「建徳」の解説 けんとく【建徳】 日本の元号︵年号︶。室町時代︵南北朝時代︶の1370年から1372年まで、長慶(ちょうけい)天皇の代の南朝が使用した元号。前元号は正平(しょうへい)。次元号は文中(ぶんちゅう)。江戸時代後期の歴史書﹃続史愚抄(ぞくしぐしょう)﹄によれば、1370年︵正平25︶7月24日改元。それ以前の改元の可能性もあり、長慶天皇の即位にともなう代始改元とも考えられるが、改元の理由は不詳。﹃文選(もんぜん)﹄を出典とする命名。建徳年間の北朝の天皇は後光厳(ごこうごん)天皇、後円融(ごえんゆう)天皇。北朝が使用した元号は応安(おうあん)︵1368~1375年︶。室町幕府の将軍は足利義満(よしみつ)︵3代︶。この時期の南朝は、重鎮の北畠親房(ちかふさ)らを失って勢力を著しく後退させており、室町幕府・北朝方の攻勢が続いていた。また、南朝関連の現存史料が少ないこともあり、長慶天皇の在位・非在位が大正時代まで論議されるほどであった。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「建徳」の意味・わかりやすい解説 建徳けんとく / チエントー 中国、浙江(せっこう)省杭州(こうしゅう)市の南西部にある県級市。銭塘江(せんとうこう)とその支流である新安江(しんあんこう)が市内で合流する。人口50万8673︵2015︶。杭州市が管轄代行する。三国の呉のとき建徳県を置き、唐代には睦州(ぼくしゅう)、宋(そう)代には建徳府、元代には建徳路、明(みん)・清(しん)代には厳州(げんしゅう)府の治所となった。1992年市制施行。市政府所在地は新安街道。かつて県政府は長らく厳州に置かれていた。上流部は有名な茶の産地であり、山地にはマツ、スギなど用材が豊富で薬草の自生も多い。杭黄高速鉄道︵杭州―黄山(こうざん)︶が通じる。 ﹇林 和生・編集部 2017年4月18日﹈ [参照項目] | 杭州 | 銭塘江 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
百科事典マイペディア 「建徳」の意味・わかりやすい解説 建徳【けんとく】 中国,浙江省中西部,銭塘江(せんとうこう)上流にある市。安徽省南部から浙江省西部一帯に産するキリ油・茶・木材を集散する。付近に出力65万kW余の新安江水力発電所が設けられた。51万人(2014)。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報