デジタル大辞泉 「応仁」の意味・読み・例文・類語 おうにん【応仁】 室町後期、後土御門ごつちみかど天皇の時の年号。1467年3月5日~1469年4月28日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「応仁」の意味・読み・例文・類語 おうにん【応仁】 (一)室町時代、後土御門天皇の代の年号。兵乱のため文正二年︵一四六七︶三月五日改元。応仁三年︵一四六九︶四月二八日に文明と改められた。八代将軍足利義政の時代。応仁の乱が起こった。出典は﹁維城典訓﹂の﹁仁之感レ物、物之応レ仁、若二影随一レ形、猶二声致一レ響﹂による。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「応仁」の解説 おうにん【応仁】 日本の元号︵年号︶。室町時代︵戦国時代︶の1467年から1469年まで、後土御門(ごつちみかど)天皇の代の元号。前元号は文正(ぶんしょう)。次元号は文明(ぶんめい)。1467年︵文正2︶3月5日改元。兵革︵戦乱︶の凶事を断ち切るために行われた。﹃維城典訓(いじょうてんくん)﹄を出典とする命名。応仁年間の室町幕府の将軍は足利義政(よしまさ)︵8代︶。1467年︵応仁1︶、河内・紀伊・山城・越中守護の畠山義就(よしなり)が管領解任を不服として、新管領の畠山政長を襲撃したことをきっかけに大規模な争乱に発展、応仁・文明の乱へとつながった。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「応仁」の解説 応仁 おうにん ?-1153 平安時代後期の僧。 輔仁(すけひと)親王の王子。後三条天皇の皇孫。天台宗。保延(ほうえん)2年崇徳(すとく)天皇の護持僧となる。4年権(ごんの)少僧都,法眼にすすんだ。仁平(にんびょう)3年1月2日死去。法名ははじめ仁操。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例