天台宗(読み)テンダイシュウ

デジタル大辞泉 「天台宗」の意味・読み・例文・類語

てんだい‐しゅう【天台宗】

 
575()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「天台宗」の意味・読み・例文・類語

てんだい‐しゅう【天台宗】

 

(一)   ( () ) 
(二) ()
(一)[](822)
(三) 
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天台宗」の意味・わかりやすい解説

天台宗
てんだいしゅう


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中国天台


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日本天台


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叡山仏教の確立

82411()2()772837()()()()877()3()845()()()()()()()826893()827894()843927()866940


天台宗の発展

4()794868()()()831918()()18()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()98913000310472()()36()()

 ()()813()()()()()()()12041()()


天台仏教の展開

()()()()調()()()11671235西()11631247西()11841266()()西()()15()()()()()()

 1571()()()()()171117401795退


現状

()西()()()()()()()()20()()64539250174715956302432926



19691978196519542 1979

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百科事典マイペディア 「天台宗」の意味・わかりやすい解説

天台宗【てんだいしゅう】

 
()()()() 806()()()()13()()()西()()()
西  

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改訂新版 世界大百科事典 「天台宗」の意味・わかりやすい解説

天台宗 (てんだいしゅう)




 25397麿

 便3便便

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天台宗」の意味・わかりやすい解説

天台宗
てんだいしゅう

 
   ()  23 (804)   

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天台宗」の解説

天台宗
てんだいしゅう

中国隋代の僧天台大師智顗(ちぎ)により開かれた宗派。「法華経」を根本聖典とし,五時八教・一念三千などの教理をたて,一心三観の実践を説く。805年(延暦24)最澄によって日本に伝来。翌年には年分度者(ねんぶんどしゃ)を与えられ,国家公認の宗となる。また比叡山での大乗戒壇(だいじょうかいだん)独立をめざして南都と論争し,最澄の死後に実現した。10世紀末に山門派(延暦寺)と寺門派(園城(おんじょう)寺)に分裂した。以後,両者とも貴族との結びつきを強めながら権門化し,中世にはその権勢を背景に政治史上でも大きな役割をはたした。鎌倉新仏教や中世文化の母体としても重要である。比叡山は織田信長の焼打により焦土と化すが,江戸幕府や諸大名の後援をうけて復興した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「天台宗」の解説

天台宗
てんだいしゅう

中国,隋代に智顗 (ちぎ) が開いた仏教の一派
『法華経』をもとにし,「一念三千」などの思想を説く。天台宗の書物は奈良時代に日本に入っていたが,最澄が入唐してからよく理解されるようになった。806年に最澄は従来の南都六宗のほかに新しく天台宗を独立させることに成功した。比叡山延暦寺が総本山。9世紀中ごろ,円仁・円珍が相ついで入唐し密教を学び,安然 (あんねん) に至って台密を大成。のち山門派・寺門派に分かれて対立した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「天台宗」の解説

天台宗
てんだいしゅう

中国・日本における大乗仏教の一宗派
隋の智顗 (ちぎ) が開祖。浙江 (せつこう) の天台山で修行して完成したのがその名の由来。法華 (ほけ) 経の主旨にもとづいて実践を重んじた。唐・宋代に盛行。日本には最澄 (さいちよう) が唐から帰朝して伝えたが,禅や密教という当時の中国仏教の傾向をあわせて導入したため,信仰の内容は異なる。

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葬儀辞典 「天台宗」の解説

天台宗

■本尊/釈迦牟尼如来■宗祖/最澄(伝教大使)■本山/延暦寺(滋賀比叡山)葬儀の特徴は、授戒と引導を中心に仏の供養と念仏によって得る功得をもって、故人の冥福を祈ります。授戒式を通夜あるいは入棺のとき行い、葬儀の後続いて引導を行います。

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世界大百科事典(旧版)内の天台宗の言及

【安然】より

…平安前期の天台宗の僧。天台密教(台密)の大成者。…

【一念三千】より

…人間の日常の一瞬一瞬のかすかな心の動きに,三千の数で現された宇宙のいっさいのすがたが完全にそなわっているということ。天台宗の基本的な教説の一つ。智顗(ちぎ)の《摩訶止観(まかしかん)》五ノ上に〈此の三千は一念の心に在り,若(も)し心無くば已(や)みなん,介爾(けに)も心あらば即ち三千を具す〉とあるにもとづく。…

【延暦寺】より

…滋賀県大津市にある天台宗の総本山。山号は比叡山。…

【最澄】より



【山王信仰】より


(782806)

【山王神道】より

…元来日吉(比叡)の大神は大山咋(おおやまくい)神が比叡山に鎮祀されたものであるが,延暦年中(782‐806)僧最澄がこの地に延暦寺を創建するに及び別に大三輪神を山上にまつり大比叡神と称し,大山咋神は山下に移された。しかし大山咋神は元来比叡山の地主神(じぬしがみ)であったので天台宗徒は宗派の守護神と仰ぎ,唐の天台山の守神たる地主山王に擬し,この神を山王と称し天台神道の主神とした。 山王神道の中心思想は山王の2字を天台宗の三諦円融観をもって説明するもので,三諦とは仮諦・空諦・中諦を指す。…

【仏教】より


 便

【法華宗】より

…注釈も多く行われ,とりわけ法雲の《法華経義記》はその最高とされる。この経を根本としたのが天台宗で,天台大師智顗(ちぎ)により一宗となり,独特の経の位置づけをした。智顗の三大部(《法華玄義》《法華文句》《摩訶止観(まかしかん)》)はその体系を示している。…

※「天台宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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