デジタル大辞泉 「明徳記」の意味・読み・例文・類語 めいとくき【明徳記】 室町前期の軍記物語。3巻。作者未詳。明徳の乱のいきさつを記したもの。乱の後ほどなく成立したといわれる。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「明徳記」の意味・読み・例文・類語 めいとくき【明徳記】 (一)室町前期の軍記。三巻。明徳二年︵一三九一︶に山名氏清・満幸らが起こした明徳の乱の顛末を描いた作品。物語僧によって語られた。将軍足利義満側近の手で、乱後ほどなく成ったものと推定される。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本大百科全書(ニッポニカ) 「明徳記」の意味・わかりやすい解説 明徳記めいとくき 明徳の乱︵1391︶を題材にした室町期の軍記作品。通常3巻。乱後、1年たらずで成立したか。﹃看聞御記(かんもんぎょき)﹄応永(おうえい)23年︵1416︶7月3日条に、物語僧の語物(かたりもの)として享受されていた実態を記す。山名一族の挙兵から没落に至る経緯を描き、世情の鎮静化を祝って結ぶ。反乱を批判し、将軍足利義満(あしかがよしみつ)の存在を絶対視しているところから、作者は将軍側近かともされ、また、山名氏没落の哀話に時宗僧とのかかわりを想定する説もある。﹃太平記﹄に次いで登場し、合戦記録化していく後期軍記の分岐点にたつ佳作である。﹃群書類従﹄合戦部所収。 ﹇日下 力﹈ ﹃冨倉徳次郎校訂﹃明徳記﹄︵岩波文庫︶﹄▽﹃﹃平治物語・明徳記﹄︵﹃陽明叢書 国書篇﹄1977・思文閣出版︶﹄ [参照項目] | 明徳の乱 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「明徳記」の意味・わかりやすい解説 明徳記 (めいとくき) 明徳の乱︵1391︶の顚末を記した軍記。3巻。乱後まもなく成立した初稿本と,1396年︵応永3︶に加筆訂正された再稿本とがあり,初稿本系統が流布本となった。作者は足利義満近侍の者か。この書は︽太平記︾の持つ両義性︵記録的・語り物的性格︶を継承し,以後の室町軍記の単一的︵実録的︶な展開への転回点に位置づけられる。︽群書類従︾,岩波文庫所収。 執筆者‥加地 宏江 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
百科事典マイペディア 「明徳記」の意味・わかりやすい解説 明徳記【めいとくき】 明徳の乱のてんまつを記した書。3巻。作者,成立年代ともに不詳。︽承久記︾︽応仁記︾と合わせて三代記といわれる。︽太平記︾の流れをくむ軍記で,語り物として流布。 →関連項目今富荘|軍記 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明徳記」の意味・わかりやすい解説 明徳記めいとくき 南北朝時代末の軍記物語。作者,成立年未詳。3巻。明徳の乱 (1391) の直後に足利義満の近侍の一人によって書かれたものとみられる。元中8=明徳2 (91) 年に山名氏清,満幸らが反逆を企てたとき,義満がこれを滅ぼした顛末を記したもの。物語僧によって語られた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報