曲垣平九郎(読み)マガキヘイクロウ

デジタル大辞泉 「曲垣平九郎」の意味・読み・例文・類語

まがき‐へいくろう〔‐ヘイクラウ〕【曲垣平九郎】

 
 

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「曲垣平九郎」の意味・読み・例文・類語

まがき‐へいくろう【曲垣平九郎】

 

(一)
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「曲垣平九郎」の意味・わかりやすい解説

曲垣平九郎
まがきへいくろう


()()()163411()()()()861640()()()()()



出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「曲垣平九郎」の意味・わかりやすい解説

曲垣平九郎【まがきへいくろう】

 
()1634()︿()  

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

朝日日本歴史人物事典 「曲垣平九郎」の解説

曲垣平九郎

 

11(1634)128,,3,,,,,900<参考文献>  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「曲垣平九郎」の解説

曲垣平九郎 まがき-へいくろう

?-? 江戸時代前期の馬術家。
讃岐(さぬき)高松藩主生駒(いこま)高俊の家臣。寛永11年(1634)将軍徳川家光の目の前で芝の愛宕(あたご)山の石段を馬でのぼり,梅花の枝をとってきて賞賛された。のち福井藩につかえたが,浪人して流浪のすえ没した。名は盛澄。多分に伝説的人物で,講談「寛永三馬術」で有名となる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の曲垣平九郎の言及

【愛宕山】より

…山上に1603年(慶長8)に京都の愛宕神社を勧請した愛宕神社がまつられ,東側社前の急斜面には男坂,女坂がある。86段ある男坂の石段は,講談《寛永三馬術》の曲垣(まがき)平九郎の話で名高く,社前に曲垣平九郎手折りの梅もあるが,神社には平九郎に関する記録は残っていない。山上には小さな公園があり,また1925年7月,ここに設けられた東京中央放送局の放送所から日本初のラジオ本放送が開始された。…

【寛永三馬術】より



※「曲垣平九郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ

タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...

タコノキの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android