デジタル大辞泉
「更級日記」の意味・読み・例文・類語
さらしなにっき【更級日記】
成立。作者13歳の寛仁4年︵1020︶、父の任国上(かず)総(さ)から帰京する旅に始まり、51歳で夫の橘俊通と死別するころまでの回想記。
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さらしなにっき【更級日記】
(一)日記。一巻。菅原孝標女(たかすえのむすめ)著。一三歳の寛仁四年︵一〇二〇︶九月、父の任国上総︵千葉県︶から帰京した旅に筆を起こし、夫、橘俊通(たちばなとしみち)と死別した翌年、康平二年︵一〇五九︶五二歳の頃までの回想記。物語への憧れと夢の記事が多い。平安時代の中流貴族の女の半生が鋭い感覚で印象的に記される。さらしなのにき。
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更級日記 (さらしなにっき)
平安朝の日記文学。1巻。作者は菅原孝標女︵すがわらのたかすえのむすめ︶。作者は上総介であった父孝標とともに東国に過ごし,1020年︵寛仁4︶,任期満ちた父とともに帰京の途につくが,その年から起筆し,59年︵康平2︶ころまでのことを記しているので,その年以後まもなく成立したと考えられる。︿あづま路の道のはてよりもなほ奥つかたに生ひ出でたる人,いかばかりかはあやしかりけむを……﹀と,東国に生い立った自分を第三人称で書き起こし,そのころの作者が姉や継母によって語られるさまざまの物語,ことに︽源氏物語︾によって空想をかきたてられ,早く上京して多くの物語を見たいという熱い願いを抱きつづけたことをまず述べているが,やがて念願かなって13歳の年に上京の日が到来する。以下,京への途次の風物を印象深く叙し,︿まののてう﹀の古跡,竹芝寺伝説,足柄の遊女,富士川の除目︵じもく︶にまつわる奇譚など土俗的な伝承や見聞に筆をさきつつ,入京まで3ヵ月を要した旅の記がつづられる。続いて上京後の記となるが,翌年14歳の作者は待望の︽源氏物語︾全巻を入手して︿后の位も何にかはせむ﹀の境地でこれを耽読し,美しく成長して︽源氏物語︾の世界の女性の夕顔や浮舟のようになりたいと願った。しかしながら,そうした空想も継母との離別,乳母や姉との死別ほかさまざまの不幸によって突き崩されていった。やがて父孝標は長い間の散位ののち1032年︵長元5︶に常陸介となって任国に下ったが,4年後に帰京するや官を辞して引退した。母は出家し,父母は同じ邸内ながら別居生活に入る。39年︵長暦3︶,32歳の作者は人に勧められて祐子内親王家に出仕することになるが,宮仕え生活になじまず里に引きこもりがちであった。翌年橘俊通と結婚したが,このころもはや︽源氏物語︾はあまりにも縁遠い夢の世界にすぎなくなっていた。41年︵長久2︶,夫俊通は下野守に任ぜられ,作者は姉の遺児が祐子内親王家に出仕しはじめた縁でときおり宮家に顔を出すようになり,頭弁源資通への思いに胸をときめかしもしたが,それも一場の夢に終わった。38歳以後は,子どもの安泰な将来と家庭の幸福を願いつつ,しきりに物詣の旅に出る。その旅の記は洛外の自然風土との新鮮な交感を語って印象的であるが,やがて日記は,老病の身となり物詣もままならぬ晩年の記となり,信濃守となって赴任した夫が翌年上京ののち発病して死を迎えたことを述べる。作者は48歳の55年︵天喜3︶10月13日にゆくりなくも阿弥陀仏の来迎図を夢に見て,それに頼みをかけたというが,しかしながら老いと孤独の身はいかんともしがたく,沈淪の嘆きを訴えつつ筆をおいている。和歌88首を挿入し,悔いと哀惜のこもる述懐を加えつつ,物語世界への憧憬に生きた少女期から老残の晩年まで40年間の身の上の推移を描きあげたこの日記は,夢と現実との相克を生きた王朝末期の一女性の境涯のみならず,人生それ自体の意味を語り示す特異な作品であるといえよう。
執筆者‥秋山 虔
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更級日記
さらしなにっき
平安中期の日記文学。1巻。菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)作。1060年︵康平3︶ごろ成立。作者13歳のおり、父の任地上総(かずさ)国︵千葉県中央部︶から帰京する旅の記録に筆をおこし、以後40余年に及ぶ半生を自伝的に回想した記録。幼いころ草深い東国ではぐくまれた物語世界への幻想が、成長してのち体験した厳しい現実のなかで挫折(ざせつ)し、老残の境涯のなか、ついに信仰の世界に魂の安住を求めようとするまでの精神遍歴が描き出されている。旅の記録は、分量的にも日記全体の5分の1ほどを占め、さらに竹芝(たけしば)寺の伝承をはじめとする土俗的な話柄が取り収められるなど、叙述のうえでも注目される。帰京後の作者の生活は、﹃源氏物語﹄をはじめとする物語世界への耽溺(たんでき)の姿勢が強調される一方で、それを牽制(けんせい)しようとする宗教的な意識との葛藤(かっとう)のなかに描き出されており、そうしたなかで与えられるさまざまな夢の啓示がその精神遍歴の道筋を示している。不如意な現実がたび重なるなかで作者は宮仕えに出るが、期待した幸運は訪れず、結局は平凡な受領(ずりょう)の妻としての生活を得るにとどまった。しかし、一見安穏にみえたその生活は夫の死とともに瓦解(がかい)し、作者は仏の救済にすべてを託す心境に至ったことを記している。そこに作者の回心の過程をみいだせるわけだが、物語世界への幻想も仏の救済への信仰も、ともに仮構された非現実の世界への憧憬(しょうけい)である点で変わりはなく、むしろ最晩年の孤独な境涯のなかに、人生のはかなさをかみしめる作者の諦観(ていかん)が示されている点に注目されるものがある。
なお、本書の伝存する諸本はすべて藤原定家(ていか)書写の御物本に源を発しており、別系統のものは1本も発見されていない。
﹇多田一臣﹈
﹃犬養廉他校注・訳﹃日本古典文学全集18 更級日記他﹄︵1971・小学館︶﹄▽﹃関根慶子訳注﹃更級日記﹄上下︵講談社学術文庫︶﹄▽﹃秋山虔校注﹃新潮日本古典集成 更級日記﹄︵1980・新潮社︶﹄
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更級日記【さらしなにっき】
成立は1060年ごろとみられる。13歳の秋,父の任国上総(かずさ)から帰京する旅行記に始まり,物語愛好のこと,とくに︽源氏物語︾を耽読してすごした夢見がちな娘時代,継母との離別や姉・乳母との死別などによって崩れ去る夢,宮仕えや結婚後の生活,夫死後のさびしい寡居生活に至る,約40年間のさまざまな思い出をしるしている。
→関連項目宇治|吹田|浜松中納言物語
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更級日記
さらしなにっき
平安時代中期の日記文学。菅原孝標女 (すがわらのたかすえのむすめ) の著。寛仁4 (1020) 年 13歳のとき,任果てて上総から帰京する父に伴われての旅から,ほぼ 40年間のことを,康平1 (58) 年に夫の橘俊通に死別したのちの寂寥のなかで記した回想記。前半,少女時代には,物語,特に『源氏物語』への強い憧憬を記しており,竹芝伝説なども書きとめている。近親者との別離や死別,あるいは宮仕え,結婚を経て,現実に落胆しながらも,夢や,狂おしいまでの物詣でを繰返し記して,神仏に頼みをかける。常に何かに憧憬し期待して生きた女の生涯の記録で,平安時代中期の下級貴族の娘の生活記録としても貴重。
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更級日記
さらしなにっき
平安時代の日記文学。菅原孝標(たかすえ)女の作。1059年(康平2)以降成立。中流貴族の家に生まれ,物語に憧れつづけた女の自伝。作者は13歳のとき父の任国上総国から上京した。その旅路の記録と以後約40年間の京都生活を,晩年夫の死後に回想したもの。歌が102首あり,歌集的な部分もある。光源氏のような男性との恋愛の夢も,宮仕えで出世するという願いもかなわず,平凡な結婚生活と経済的な安定を得た人生を後悔しつつ回想する。作者の人生が平凡であるがゆえに時代をこえて読者の共感をよぶ。定家自筆本(御物本)が唯一の証本。「日本古典文学全集」「新日本古典文学大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
更級日記
さらしなにっき
平安中期,菅原孝標 (たかすえ) の娘の自伝的文学
1060年ころ完成。1巻。13歳のとき父の任国上総国(千葉県)から帰京する記事に始まり,宮仕え・結婚・夫と死別してからの生活を回想風に記す。非現実的な物語的世界への憧れと浄土欣求 (ごんぐ) の心情が流れている。
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『更級日記』
菅原孝標女(たかすえのむすめ)作。康平二(一〇五九)年頃成立。東国で生まれ育った少女が『源氏物語』に憧れて上洛の旅に出るところから、物語世界を夢想した若き日々を後悔し、仏道に傾斜していく晩年までを、回想的にたどった自伝。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
世界大百科事典(旧版)内の更級日記の言及
【源氏物語】より
…草子地は《源氏物語》の表現性を多元的に拡大するための重要な手段なのである。
[本文史,研究史]
作者の執筆過程には不明な点が多いが,確実に分かっているのは,1008年(寛弘5)11月以前に少なくとも若紫巻まではでき上がっていたことと,《更級日記》には,1021年(治安1)に菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は叔母からその54帖をもらい受けたとあることである。その完成は1010年代の初めころであろう。…
※「更級日記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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