デジタル大辞泉
「梅松論」の意味・読み・例文・類語
ばいしょうろん【梅松論】
ごろの成立。北条氏の執権時代から南北朝の動乱を経て足利氏が天下を制するまでを、足利側の立場から述べる。
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ばいしょうろん【梅松論】
(一)室町前期の史書。二巻。著者不明。貞和五年︵一三四九︶頃の成立。承久の乱以後の北条執権の時代から南北朝の動乱を経て足利氏が天下を制圧するまでの歴史を扱う。﹁大鏡﹂などのような戯曲形式を採り、足利方の立場からの史観を示す。
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梅松論
ばいしょうろん
南北朝時代の歴史書。2巻。著者は足利(あしかが)氏にかかわりの深い武将、あるいは室町幕府関係者とされ、成立は1352年︵正平7・文和1︶以後、1387~88年︵元中4~5・嘉慶1~2︶以前と推定されている。本書は、南北朝の動乱の起こりから足利尊氏(たかうじ)・直義(ただよし)兄弟が幕府を樹立するまでの経過を述べながら、初期室町政権の正当性や諸将の勲功を事実に基づいて顕揚しようとしたものであり、南朝側の視点にたつ﹃太平記(たいへいき)﹄とは対照的な見方をしている。本書の政道論には、︹1︺有徳者為君主義=撫民(ぶみん)仁政主義と、︹2︺神孫為君主義=血統主義が二つながら認められるが、究極的には︹2︺は天の思想に依拠する︹1︺に掣肘(せいちゅう)されるものであった。したがって本書は、歴史的世界に生起した諸現象、とりわけ政権を担当した為政者に対して、まず︹1︺によって、ついでその埒内(らちない)で︹2︺を踏まえて評価を下したのである。この段階で、超越的神意ないし理法が歴史の行方をあらかじめ決定しているとみる﹃愚管抄(ぐかんしょう)﹄﹃神皇正統記(じんのうしょうとうき)﹄的な歴史観は、ほぼ克服されたといえよう。
﹇石毛 忠﹈
﹃矢代和夫・加美宏校注﹃新撰日本古典文庫3 梅松論﹄︵1975・現代思潮社︶﹄
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梅松論 (ばいしょうろん)
足利政権成立の過程を記した軍記物語。2巻。1352年︵正平7・文和1︶をさほど下らないころの成立と推定される。京都北野天満宮に参籠した人々が老僧から物語を聞くという,︽大鏡︾に始まる︿鏡もの﹀の形式をとる。書名は北野天神ゆかりの飛梅老松に由来することが,巻末に記される。作者未詳だが,足利氏旗下の諸将︵細川氏,少弐氏など︶と関係ある者,あるいは夢窓疎石ゆかりの者などが想定されている。内容は持明院・大覚寺両統の分裂・対立までを前史として略述したのち,主題である建武政権の成立と崩壊,足利政権樹立の過程を,足利政権を正当化する意図のもとに叙述する。年代的には︽太平記︾の前半部分と重なるが,足利尊氏・直義,楠木正成らをはじめ,動乱期の人物群像を︽太平記︾とは異なった視点でとらえている。文体は簡潔,史料としての信憑性は高く,南北朝期政治史および変革期における武士の歴史意識研究に好個の書。
執筆者‥加地 宏江
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梅松論
ばいしょうろん
承久の乱から室町幕府成立期を描く歴史物語。2巻。取材資料から作者は細川家関係者説が有力。成立は1349年(貞和5・正平4)頃で,下限は本書の影響をうけた「源威集(げんいしゅう)」成立の嘉慶年間(1387~89)。鏡物(かがみもの)あるいは当代の談論文芸の趣向にならい,北野神宮寺毘沙門堂での念誦(ねんじゅ)の暇に行われた通夜物語という設定で,足利尊氏による開幕の経過の問いに応じた「なにがしの法印」の語りを記録する体裁をとる。書名は「北野なれば将軍の栄華梅とともに開け,御子孫長久松と徳を等しくすべし」の前祝い,「飛梅老松年旧りて松風吹かば梅花薫ずるを問と答とに准(なぞ)」らえる意図による。伝本は古本・流布本にわかれ異同が大きい。古本は「国語国文」誌,流布本は「群書類従」所収。
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梅松論
ばいしょうろん
南北朝時代のかな書き史論書。2巻。作者は北朝方の武士か僧侶だが未詳。天平4=貞和5 (1349) 年頃成る。承久1 (1219) 年北条氏が藤原頼経を将軍に迎えて執権政治を行う時点から筆を起し,承久の乱の顛末,大覚寺,持明院両統の迭立,後醍醐天皇の挙兵,鎌倉幕府の滅亡までを上巻とし,足利尊氏が建武新政府に叛した延元1=建武3 (1336) 年正月から翌年の新田義貞の金崎城没落までを下巻に収録。書名は足利尊氏および子孫の繁栄を北野神社の飛梅,老松になぞらえて名づけたもの。﹃群書類従﹄に所収。
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梅松論【ばいしょうろん】
軍記物語。1350年ごろの成立。著者不詳だが足利尊氏の側近と推定する説などがある。鎌倉時代から南北朝期にわたり,尊氏の活躍を中心に記す。後醍醐天皇の立場から記された︽太平記︾に対し,尊氏の側から比較的正確に史実を伝える。
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梅松論
ばいしょうろん
1349年ころ成立。2巻。著者不詳。足利尊氏・直義 (ただよし) 兄弟が室町幕府を創立する経過から新田義貞の死までを述べた戦記。南朝の﹃太平記﹄に対抗し,武家の立場から足利政権の正統性を強調し,将軍の隆盛を祝す。粗い散文で書かれているが,批判的精神にあふれ,史料価値も高い。尊氏側近の武将によって著されたものであろう。
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