橋本関雪(読み)ハシモトカンセツ

デジタル大辞泉 「橋本関雪」の意味・読み・例文・類語

はしもと‐かんせつ〔‐クワンセツ〕【橋本関雪】

 
18831945()()()()西  

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精選版 日本国語大辞典 「橋本関雪」の意味・読み・例文・類語

はしもと‐かんせつ【橋本関雪】

 

(一)西
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「橋本関雪」の意味・わかりやすい解説

橋本関雪
はしもとかんせつ
(1883―1945)


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19721977

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百科事典マイペディア 「橋本関雪」の意味・わかりやすい解説

橋本関雪【はしもとかんせつ】

 
1調  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「橋本関雪」の意味・わかりやすい解説

橋本関雪
はしもとかんせつ

[生]1883.11.10. 神戸
[没]1945.2.26. 京都
日本画家。本名は成常,のち関一。 1895年片岡公曠に南宗画を学び,1903年から竹内栖鳳に師事,06年神戸絵画研精会を組織。 13年中国を訪れてのちは,中国の風物や古典文学に題材を取った力作を次々に発表。文展の花形として活躍。 23年栖鳳の竹杖会から離脱,21年と 27年に渡欧。新南画と呼ばれる独自の作風を築き,京都画壇で独歩の創作活動を行なった。 34年帝室技芸員,翌年帝国美術院会員。中国古典に精通し,詩文も巧みで『関雪随筆』『南画への道程』の著書がある。主要作品『木蘭詩』 (1920) ,『意馬心猿』 (28,京都国立近代美術館) ,『玄猿』 (33,東京芸術大学) ,『唐犬図』 (36,大阪市立美術館) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋本関雪」の解説

橋本関雪 はしもと-かんせつ

1883-1945 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治16年11月10日生まれ。片岡公曠(こうこう),竹内栖鳳(せいほう)にまなぶ。文展で連続特選となり,大正8年の第1回帝展から審査員。中国や日本の古画を研究し,とくに動物画に格調ある画風を確立した。帝室技芸員,芸術院会員。昭和20年2月26日死去。63歳。兵庫県出身。本名は関一。代表作に「玄猿」「木蘭詩」「長恨歌(ちょうごんか)」,著作に「南画への道程」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「橋本関雪」の解説

橋本関雪
はしもとかんせつ

 
18831945

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