毛利就隆(読み)もうり・なりたか

朝日日本歴史人物事典 「毛利就隆」の解説

毛利就隆

 
7.8.8(1679.9.12)
7(1602)
,16(1611)()3(1617)3,11(1634),45000,3(1650),<参考文献>  
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出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利就隆」の解説

毛利就隆 もうり-なりたか

 
16021679 
793()()()()(),3(1650)()()4500078878  

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「毛利就隆」の解説

毛利就隆 (もうりなりたか)

生年月日:1602年9月3日
江戸時代前期の大名
1679年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の毛利就隆の言及

【周防国】より


1600317(3)3140050(3)()︿10

【徳山[市]】より

…山口県南部,瀬戸内海西部の徳山湾に臨む商工業都市。1935年市制。人口10万8671(1995)。1949年,現在の新南陽市にあたる地区を分離したため市域の中央部を失い,ドーナツ状の市域をもつが,面積は339km2で県下第2の広域都市である。市街地の主要部は栄谷(さかえだに)地区から徳山湾岸にひろがる狭い東川扇状地の上に発達している。沿岸部を山陽本線と国道2号が通り,山陽新幹線の徳山駅が設置され,特定重要港湾徳山下松(くだまつ)港をもつ交通の要地を占めている。…

【徳山藩】より

…江戸時代,周防国(山口県)都濃(つの)郡徳山を中心に郡の南部と阿武郡の一部2ヵ村を領域とする萩藩(長州藩)支藩の一。毛利輝元の第2子就隆(なりたか)が藩主の始祖。1617年(元和3)慶長検地高の3万1400余石を内証分知され,34年(寛永11)幕府の公認により藩に列した。公称石高は4万10石。廃藩のころの実高は6万9000余石とされる。萩本藩の公称36万余石の割合では2万500余石。毛利家の家譜類では徳山藩の石高を4万5000石とし,《武鑑》では1835年(天保6)までは3万石,翌年以降は4万10石としている。…

※「毛利就隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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