沖縄基地問題(読み)おきなわきちもんだい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「沖縄基地問題」の意味・わかりやすい解説

沖縄基地問題
おきなわきちもんだい


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百科事典マイペディア 「沖縄基地問題」の意味・わかりやすい解説

沖縄基地問題【おきなわきちもんだい】

日米安全保障条約に基づく在日米軍基地の約75%が日本の国土のわずか0.6%の沖縄に集中している。そのため,沖縄では1972年の施政権返還以降も基地の重圧にあえいできた。1972年返還当時の基地面積は87施設,2万8700ha,2012年では,33施設,2万3176.3ha。施設数は半減したが,基地面積はわずかしか減少していない。こうした基地の存在が騒音などの環境問題,米兵によるトラブル,さらに基地経済への依存による産業発展のひずみ等の基地問題を引き起こしてきた。1990年12月に誕生した革新系の大田昌秀知事は基地の整理・縮小を掲げ,日米の政府と精力的な交渉を進め,1995年1月には日米首脳会談において沖縄基地の施設・区域の整理統合についての合意がなされるなど一定の成果を挙げた。その矢先の1995年9月に米兵による少女暴行事件が起き,沖縄県民の怒りが爆発,より一層の基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しを求める声が拡大し,1995年11月に日米特別行動委員会(SACO)が設置され検討が進められた。1996年4月に出された同委員会の中間報告には,普天間(ふてんま)飛行場をはじめ,那覇港湾施設,読谷(よみたん)補助飛行場,ギンバル訓練場,楚辺(そべ)通信所,瀬名波通信施設を5〜7年をめどに全面返還し,機能を他の施設・区域に移転することのほか,米軍のキャンプ施設の部分的な整理・縮小等が盛り込まれた。1996年12月2日に基地返還に伴う代替ヘリポートの建設などを加えた最終報告書が出され,これによって沖縄基地の21%が返還されることになる。しかし代替施設などの条件付返還で必ずしも県民を満足させるものとはいえない。その間,大田知事は1996年9月に〈基地の整理・縮小,日米地位協定の見直し〉に関する県民投票を実施し,投票率59.5%のうち,賛成が89.1%を占めた。しかし,1997年には,同年5月で契約期限切れとなる嘉手納(かでな)など12施設の扱いをめぐり,政府は沖縄県の意向を押し切って〈駐留軍用地特別措置法〉を改正し,暫定使用を可能とした。また同年12月に代替ヘリポート建設の是非を問う住民投票が名護市で行われ,投票率82.45%,反対51.63%の結果となった。これをうけて大田知事は,1998年1月ヘリポート建設反対を表明,2月県として建設反対を正式に決定した。しかしその直後に行われた名護市長選では建設反対派が敗れ,同年11月の知事選では,普天間代替策として県内移設を容認する稲嶺恵一が当選した。1999年12月,岸本健男名護市長は条件つきで普天間移設受入れを表明した。沖縄県は辺野古(へのこ)沖を代替地としたが,工法が確定せず,住民の反対や自然環境への影響などから進展をみていない。2004年8月,米海兵隊所属の大型ヘリコプターが普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の敷地に墜落,炎上し,基地の危険性についてがあらためて衝撃を与えた。アメリカは,2001年の9.11事件以降,世界中に展開する米軍の再編を計画し,その一貫として日米両政府は,在日米軍の再編計画を,2005年10月に〈中間報告〉,2006年5月に最終合意として発表した。沖縄では,(1)普天間飛行場を,その代替施設を名護市辺野古崎に2014年までに建設し,その後日本に返還すること,(2)第3海兵遠征軍を2014年までにグアムに移転することのほか,嘉手納以南の普天間飛行場を含む6基地の全面・一部返還と,自衛隊と米軍による米軍基地の共同使用などが決められた。2009年9月に民主党・社民党・国民新党の連立政権として発足した鳩山由紀夫内閣は,普天間基地移転問題の経過を検証することを提起し,鳩山首相は県外・国外移転案も含めて再検討すると表明,米国政府や自治体との折衝を始めたが,米国は歩み寄りを見せず,結局,これまでの日米合意にもどらざるを得ないとした。この経過は,県外・国外移転という鳩山首相の表明に大きな期待を寄せた沖縄県民に失望感を残す結果となった。しかし,普天間基地の県内移転にも現地に強い反対があり,同意を得ることは至難で,また普天間基地そのものの危険性も依然として変わっていないため,菅直人内閣,野田佳彦内閣と続いた民主党連立政権でも解決からはほど遠い状態が続いた。2013年3月,第二次安倍晋三内閣は,米国政府と沖縄の米軍基地の部分的な返還計画をまとめ,返還の時期と手順について発表した。それによると2013年より2028年度までに,人口の多い県南部の6基地について約1000haの土地の返還をめざすとしている。しかし,普天間の返還時期は〈2022年度またはその後〉と曖昧なままで,さらに普天間の返還は従来通り名護市辺野古への移設が前提,とされており,抜本的な解決は先送りされたままとなっている。2013年12月,安倍首相は仲井真知事と会談,基地負担軽減策を提示し仲井真知事はこれを高く評価して名護市辺野古沖の埋め立て申請を承認する方針を表明,県として辺野古移設を承認した。しかし2014年2月の名護市長選では,移設反対派が勝利。沖縄県民の世論調査では,米軍普天間基地飛行場の名護市辺野古への移設は賛成22%に対して反対は66%にのぼっている。2014年11月に行われた沖縄県知事選では,辺野古沖の埋め立て許可を撤回する表明をしている翁長雄志が当選。得票率は51.6%で37.3%だった次点の現職仲井真に大差をつけた。
→関連項目沖縄[県]基地問題日本普天間基地問題辺野古移設問題村山富市内閣

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