洋学(読み)ヨウガク

デジタル大辞泉 「洋学」の意味・読み・例文・類語

よう‐がく〔ヤウ‐〕【洋学】

西洋の学問。西洋の語学。

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精選版 日本国語大辞典 「洋学」の意味・読み・例文・類語

よう‐がくヤウ‥【洋学】

 

(一)   西西
(一)[]西(1850)
(二)()(1899)
 

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改訂新版 世界大百科事典 「洋学」の意味・わかりやすい解説

洋学 (ようがく)


西西︿︿︿西︿西︿︿

西17西1688-17041716-36西西調西西︿西西

 

 西姿西

西18西西輿178918031789使西17931804-18西西18061808511

 ︿西西西西退18281839

1840-42西1830-44西1853調18611

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百科事典マイペディア 「洋学」の意味・わかりやすい解説

洋学【ようがく】

江戸〜明治初期,日本に移入されたヨーロッパの学問の総称。ポルトガルを通じてのいわゆる南蛮学(または蛮学),オランダを通じての蘭学,幕末の蘭・英・仏・独の各国語を通じた西洋の学問をいう。特に医学など自然科学や技術は広く学ばれ実益に供されたが,合理的精神や国際交流の精神は鎖国を固守する幕府と相いれず,シーボルト事件などで弾圧をうけた。開港以後は幕府も洋学所(のち蕃書調所)を設け,人文・社会科学も含めた洋学教育に力を入れた。
→関連項目青木周蔵開成所古賀謹一郎国学(近世)島津斉彬修猷館西村茂樹藩学蛮社の獄箕作秋坪柳河春三渡辺崋山

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「洋学」の意味・わかりやすい解説

洋学
ようがく

江戸時代後期を中心にして、西洋事情・西洋科学に関して行われた研究およびその知識の総称。西洋の学術・文化・技術の日本への伝来は、16世紀中ごろ、キリスト教の布教とともにポルトガル人、スペイン人によって始まったが、これは南蛮学、蛮学などとよばれた。やがて江戸幕府が鎖国政策をとったことにより、西洋の学術・文化は、日本への渡来を許された唯一の西洋の国オランダが長崎出島(でじま)に建てたオランダ商館を通じて、オランダ語を介して移入されることになり、これは蘭学(らんがく)とよばれた。鎖国政策が緩み、開国政策がとられた幕末期になると、オランダ人以外の諸外国人も渡来するようになり、イギリス・フランスなどの学術・文化が、それぞれの国の言語とともに渡来した。洋学ということばはこの時期以降に一般化した。洋学は自然科学・社会科学・人文科学の広い分野で西洋の知識・学問を移入するのに力を発揮したが、ことに英学が蘭学にかわって主要な地位を占めた。

[大鳥蘭三郎]

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旺文社日本史事典 三訂版 「洋学」の解説

洋学
ようがく

江戸後期の日本で紹介・研究された西洋学術の総称。蘭学のほかロシア語・フランス語・ドイツ語・英語による学問を加える
西洋学術への関心は18世紀初め新井白石・徳川吉宗に現れ,特に医師の中にオランダ医学に注目する者が現れた。18世紀後半,『解体新書』の訳出からオランダ語修得の気運が高まり,大槻玄沢・稲村三伯らが入門書・辞典を著してから普及した。医学紹介に始まり,ついで自然科学一般に拡大,蘭学塾も現れ,蘭学者は相互に協力しつつ活動した。幕府は19世紀初め蕃書和解御用を新設,蘭学者を登用し知識を吸収する一方,範囲を実用の学に限り,政治批判などは弾圧し統制した(林子平・シーボルト・蛮社の獄など)。幕末の内外情勢緊迫で統制は強化され,蘭学は兵術・砲術など海防・軍制改革に重点が移動した。諸藩でも田沼時代から蘭学を保護する大名があり,藩校にも採用し,殖産興業ついで軍備強化をめざした。ロシア語学習は18世紀末に萌芽があるが(大黒屋光太夫),開国前後から範囲が拡大し,特に英語を介しての英学が発展した。そして幕府の開成所においても,自然科学偏重から脱し,経済・法律・歴史・哲学などが訳出・研究され,明治期の新知識吸収の基礎をなした。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「洋学」の解説

洋学
ようがく

江戸時代に学ばれた西洋学術の総称。大航海時代にポルトガル・スペインなどからキリスト教とともに伝わった学術を蛮学とよんだ。鎖国後は宗教色の少ないオランダ系学術の移植・研究が行われ,蘭学とよばれて広く用いられた。洋学ははじめ蘭学と同じ意味に用いられたが,幕末・開港期にイギリス系・フランス系などの学術が移植・研究されると,蘭学の名称で包括することができなくなり,一般的名称になった。蛮学に続く蘭学の初期はオランダ語を通じて医学を中心に学ばれ,享保期の天文学・暦学をへて,田沼時代以降多方面に本格化した。18世紀後半から生じた北方問題を契機に,世界地理や地図の調査・研究が行われ,海外情報の収集・研究が進められた。アヘン戦争以降,ペリー来航に至る日本をめぐる国際情勢の変化にともない,兵学・築城学など軍事科学・技術の習得が盛んとなった。洋学の発達にともなって,封建制批判も芽ばえたが,幕政批判は弾圧され,以降の洋学は殖産興業・富国強兵にむかった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「洋学」の意味・わかりやすい解説

洋学
ようがく

江戸時代末期~明治初期に導入された西欧の語学の研究,およびそれらの外国語を通して学ばれた西欧の諸科学,技術あるいは西欧事情の研究とその知識の総称。江戸時代,鎖国時はもっぱら長崎を窓口としてオランダ語を通じて学問や技術を研究した蘭学が中心で,『解体新書』にみられるように実用主義的傾向が強かったが,ペリー来航以後,英語,ドイツ語,フランス語の研究に移り,内容も次第に人文社会科学の分野が学ばれるようになった。洋学は,日本の近代国家発足の思想的文化的素地を支えるものではあったが,それは啓蒙的役割にとどまり,開国後新たに移入された欧米の諸科学に次第に取って代られた。

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世界大百科事典(旧版)内の洋学の言及

【近世社会】より

…それに加わる条件を上述のなかから探ろう。その前に幕末の洋学の意味を経済の見地からみておこう。 幕末の洋学は軍事面と医学を中心とする。…

※「洋学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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