青木周蔵(読み)アオキシュウゾウ

デジタル大辞泉 「青木周蔵」の意味・読み・例文・類語

あおき‐しゅうぞう〔あをきシウザウ〕【青木周蔵】

 
18441914使()()  

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精選版 日本国語大辞典 「青木周蔵」の意味・読み・例文・類語

あおき‐しゅうぞう【青木周蔵】

 

(一)使調
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青木周蔵」の意味・わかりやすい解説

青木周蔵
あおきしゅうぞう
(1844―1914)


()15115()18736使1885()1887()1889()()()1891使使1894調1898190639使3216



1970

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朝日日本歴史人物事典 「青木周蔵」の解説

青木周蔵

 
3.2.16(1914)
1.1.15(1844.3.3)
,,,()31(1868)3,使西,6173,,9使12,1810,,,,調使,,10,,,(1877),西18(),2,,,(1891)使26,,使,233031,,3339使40,41<著作>  
()
 

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「青木周蔵」の解説

青木 周蔵
アオキ シュウゾウ


肩書
外相,駐米大使,枢密顧問官,貴院議員

旧名・旧姓
旧姓=三浦

別名
号=琴城

生年月日
天保15年1月15日(1844年)

出生地
長門国(山口県)

経歴
蘭方医・三浦玄仲の長男に生まれ、のち長州藩医・青木研蔵の養子となる。洋学・医学を修め、明治元年長州藩費でドイツ留学、政治・法律を学んだ。6年外務省に入り、外務1等書記官心得、7年ドイツ公使館に勤務、外務1等書記官。以後駐独特命全権公使、駐オーストリア、駐オランダ公使兼任。13年再び駐独公使、駐オーストリア、駐デンマーク公使兼任。19年井上馨外相の外務次官、子爵、22年枢密顧問官、次いで山県内閣、松方内閣の外相、25年駐独公使兼駐ベルギー公使。27年駐英公使となり、陸奥宗光外相に協力、日英通商航海条約改正に調印した。この間、23〜30年貴院議員。31年第2次山県内閣外相、32年枢密顧問官、39年駐米大使、41年3度目の枢密顧問官を歴任。著書に「青木周蔵自伝」がある。

没年月日
大正3年2月16日

家族
孫=青木 盛夫(外交官)

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20世紀日本人名事典 「青木周蔵」の解説

青木 周蔵
アオキ シュウゾウ

明治期の外交官,政治家,子爵 外相;駐米大使;枢密顧問官;貴院議員。



生年
天保15年1月15日(1844年)

没年
大正3(1914)年2月16日

出生地
長門国(山口県)

旧姓(旧名)
三浦

別名
号=琴城

経歴
蘭方医・三浦玄仲の長男に生まれ、のち長州藩医・青木研蔵の養子となる。洋学・医学を修め、明治元年長州藩費でドイツ留学、政治・法律を学んだ。6年外務省に入り、外務1等書記官心得、7年ドイツ公使館に勤務、外務1等書記官。以後駐独特命全権公使、駐オーストリア、駐オランダ公使兼任。13年再び駐独公使、駐オーストリア、駐デンマーク公使兼任。19年井上馨外相の外務次官、子爵、22年枢密顧問官、次いで山県内閣、松方内閣の外相、25年駐独公使兼駐ベルギー公使。27年駐英公使となり、陸奥宗光外相に協力、日英通商航海条約改正に調印した。この間、23〜30年貴院議員。31年第2次山県内閣外相、32年枢密顧問官、39年駐米大使、41年3度目の枢密顧問官を歴任。著書に「青木周蔵自伝」がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青木周蔵」の意味・わかりやすい解説

青木周蔵
あおきしゅうぞう

 
[]15(1844).1.15. 
[]1914.2.16. 
1 (1868)  1873使1885 18891891 1892使使 1894調1898 1890 1897 19001906使190823 ()   

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百科事典マイペディア 「青木周蔵」の意味・わかりやすい解説

青木周蔵【あおきしゅうぞう】

 
1873使1892使使調1898  

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改訂新版 世界大百科事典 「青木周蔵」の意味・わかりやすい解説

青木周蔵 (あおきしゅうぞう)
生没年:1844-1914(弘化1-大正3)


1868使238691593使98使

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「青木周蔵」の解説

青木周蔵
あおきしゅうぞう


1844.1.151914.2.16

1874(7)使8689191退92使使94使2使

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木周蔵」の解説

青木周蔵 あおき-しゅうぞう

1844-1914 明治時代の外交官。
天保(てんぽう)15年1月15日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩医青木研蔵の養子。駐独公使,外務次官をへて第1次山県内閣,第1次松方内閣の外相。条約改正に努力したが,明治24年大津事件の責任をとって辞任。のちドイツ,イギリスの公使となり,27年日英通商航海条約の調印に成功した。子爵。大正3年2月16日死去。71歳。長門出身。旧姓は三浦。号は琴城。

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旺文社日本史事典 三訂版 「青木周蔵」の解説

青木周蔵
あおきしゅうぞう

 
18441914

使188911891'94使調'982  

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367日誕生日大事典 「青木周蔵」の解説

青木 周蔵 (あおき しゅうぞう)

生年月日:1844年1月15日
明治時代の外交官;政治家。子爵;貴族院議員
1914年没

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世界大百科事典(旧版)内の青木周蔵の言及

【大津事件】より

…一方,滋賀県知事,滋賀県警部長は懲戒免官となった。 ロシア皇太子の来日前,駐日ロシア公使シェービチは同皇太子への不敬の所業を厳罰するよう緊急勅令の公布を外務大臣青木周蔵を通じて日本政府に求めたが,青木は緊急勅令でなく皇族に関する刑法規定の準用を同公使に約言しながら公表していなかった。そこでこの国際的な約束にしばられた政府は,犯人に刑法116条の天皇,三后,皇太子への危害の条文による死刑を司法部に求めたほか,伊藤博文は戒厳令を考え,青木外相は同条を外国皇族にも適用する緊急勅令を提案したが,いずれも実行にいたらなかった。…

【条約改正】より




 1姿(1891)

※「青木周蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」