渋江抽斎(読み)シブエチュウサイ

デジタル大辞泉 「渋江抽斎」の意味・読み・例文・類語

しぶえ‐ちゅうさい〔‐チウサイ〕【渋江抽斎】

 
18051858()()()()
51916  

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精選版 日本国語大辞典 「渋江抽斎」の意味・読み・例文・類語

しぶえ‐ちゅうさい【渋江抽斎】

 

(一)()祿寿
 
 

 

(一)調
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「渋江抽斎」の意味・わかりやすい解説

渋江抽斎(儒医)
しぶえちゅうさい
(1805―1858)


()()()()()()17651826()()()18441()()1831()

 2016519

渋江抽斎(森鴎外の小説)
しぶえちゅうさい


()1916515()



161973

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改訂新版 世界大百科事典 「渋江抽斎」の意味・わかりやすい解説

渋江抽斎 (しぶえちゅうさい)

森鷗外の史伝。1916年(大正5)に《東京日日新聞》《大阪毎日新聞》に連載。津軽藩の侍医で,考証学者としても知られた渋江抽斎(道純,1805-58)の伝記。医にして文業を遺し,幕藩体制の内部を自在に生きた抽斎の生涯を,鷗外は自己の経歴と重ねながら共感と憧憬をこめて描く。資料の大部分は抽斎の三男保の提供したものだが,伝記の空白を埋める調査・考証の過程を伝と併行して描くという史伝の新しい領域を開いている。漢文脈を基調とする文体も格調が高く,蒼古として淀むところがない。事実尊重の態度で終始するが,小説的潤色をほどこした個所もあり,妻五百の像などに生彩を添えた。鷗外の関心は親戚,子孫に及び,記述は抽斎の没後57年まで続く。
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百科事典マイペディア 「渋江抽斎」の意味・わかりやすい解説

渋江抽斎【しぶえちゅうさい】

森鴎外の史伝。1916年《大阪毎日新聞》《東京日日新聞》に連載。江戸末期の津軽藩医で考証学者であった渋江抽斎〔1805-1858〕を中心に,夫人五百(いお),娘陸(くが)や知人,師弟から子孫に及び,維新前後の歴史を背景に豊富な資料と客観的方法をもって描く。格調高い作品で,鴎外の作品中でも傑作とされている。
→関連項目伝記

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渋江抽斎」の解説

渋江抽斎 しぶえ-ちゅうさい

 
18051858 ,
2118()()()(),(-),寿(),,()582954()(),  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「渋江抽斎」の意味・わかりやすい解説

渋江抽斎
しぶえちゅうさい

[生]文化2(1805).11.8. 江戸
[没]安政5(1858).8.29. 江戸
江戸時代末期の漢方医。字は道純または子良,抽斎は号。森鴎外の史伝小説で有名であるが,医学を伊沢蘭軒,儒学を市野迷庵,狩野掖斎らに学び,考証家として当代無比といわれた。弘化1 (1844) 年幕府が医学館を一般医師に開放した際に抽斎もその講師の一人に選ばれた。著書『素問識小霊枢講義』『経籍訪古志』 (森枳園と共著) など。

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367日誕生日大事典 「渋江抽斎」の解説

渋江抽斎 (しぶえちゅうさい)

生年月日:1805年11月8日
江戸時代末期の儒医;考証学者
1858年没

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