森鷗外(読み)もりおうがい

改訂新版 世界大百科事典 「森鷗外」の意味・わかりやすい解説

森鷗外 (もりおうがい)
生没年:1862-1922(文久2-大正11)


187258184西88S.S.S.西188918901892-93969912190019031892-1901190211907

 19070921909調1909resignation19101911彿1911︿1910西1912麿191019081910-111911-13

 稿191219131914︿︿︿19151916191519161917-211922

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「森鷗外」の解説

森鷗外
もりおうがい

 
18621922

 

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の森鷗外の言及

【阿部一族】より

森鷗外の短編小説。1913年(大正2)《中央公論》に掲載,同年刊の短編集《意地》所収。…

【衛生統計】より

…衛生学者森林太郎(鷗外)は衛生学について,〈衛生(ヒュギエーネ)トハ健人ノ外囲ニ在テ影響ヲ之ニ及ボスベキ天然ノ事物ト或ハ人ノ健康ニ欠ク可カラズ或ハ人ノ健康ヲ目的トスル装置トヲ知悉スルノ学ナリ〉と述べ,さらに〈総て衛生上の事業は,人の健康を保護して,人に長生をさせるのを目的にします〉と,この学問の性格・目的を明らかにしている。他方,衛生と保健という用語は明治期以来同義的に用いられてきているので,衛生統計はほぼ保健統計とみなしうる。…

【於母影】より

…1889年(明治22)8月2日《国民之友》第58号の綴込み夏季付録として発表された。訳者は〈S.S.S.〉(新声社の略),メンバーは森鷗外,小金井良精夫人で鷗外の妹喜美子,落合直文,市村瓚次郎(さんじろう),井上通泰。鷗外の翻訳作品集《水沫集(みなわしゆう)》(1892)に再録するときに2編を加えて全19編となった。…

【雁】より

森鷗外の長編小説。1911年(明治44)から13年にかけて《スバル》に断続連載,15年に補筆して刊行。…

【官展】より


()4648

 1907312(1)

【虚実】より

… なお,この虚実の問題は,写実主義・自然主義などのように,現実対象の忠実な再現的描写を志す芸術の表現理論に共通する課題であって,明治以降もしばしば論争の種となっている。例えば坪内逍遥の《小説神髄》における模写主義の提唱は,虚構を排し事実をとることを説いたものであるが,これに対し二葉亭四迷は《小説総論》で〈虚相〉を写すべきことを主張し,森鷗外は〈早稲田文学の没理想〉(1891)で,逍遥の没理想論は世界は〈実(レアアル)〉ばかりでなく〈想(イデエ)〉に満ち満ちているという重大なことを見落としていると反駁(はんばく)した。さらに石橋忍月は《舞姫》評で〈虚実の調和〉ということを説いている。…

【クラウゼウィツ】より

…その後,世界各国の将帥たちやエンゲルス,レーニンなどにも深い影響をあたえた。森鷗外訳《大戦学理》(1903)は,日本におけるこの書物の翻訳の嚆矢をなすものである。【望田 幸男】。…

【三人冗語】より

…森鷗外主宰の雑誌《めさまし草》第3~7号(1896年3月~7月)において,鷗外,幸田露伴,斎藤緑雨の3人が行った作品合評。〈頭取(とうどり)〉(鷗外)による作品紹介に続いて,〈ひいき〉〈さし出〉などの変名の人物が批評する形式をとる,最初の匿名座談会形式の文芸時評。…

【しからみ草紙】より

…《柵(しがらみ)草紙》とも書く。発行所は新声社(略称S.S.S.),森鷗外が主宰したが,44号(93年5月)から寺山星川(てらやませいせん)の率いる《城南評論》と合併し,柵社と改称した。創刊号の巻頭論文《柵草紙の本領を論ず》(鷗外筆)は近代文芸批評史に重大な影響を与えた。…

【渋江抽斎】より

森鷗外の史伝。1916年(大正5)に《東京日日新聞》《大阪毎日新聞》に連載。…

【殉死】より

…この殉死は,一部の知識人からは時代錯誤として批判的に見られたが,一般には美談とされ,やがて政府により軍国主義の風潮を鼓吹するために利用されることともなった。さらに重要な影響としては,森鷗外と夏目漱石とがこの事件に強い感銘を受け,鷗外は《興津弥五右衛門の遺書》や《阿部一族》を,また漱石は《心》を書いたことが注目される。それはこの事件が,高い西欧的教養を積んだ二人の文学者の内心に,近代文明と伝統的文化との関係についての深い反省をよび起こしたことを意味している。…

【神曲】より


Commedia(︿)︿divina 1,3,10(321)100(102)(10)

【スバル】より

…《明星》廃刊直後から,北原白秋,木下杢太郎,吉井勇,長田秀雄,石川啄木,平野万里,高村光太郎ら新詩社系の青年詩人が中心同人となって発刊。指導者に森鷗外を迎え,与謝野寛・晶子を顧問格とし,上田敏,永井荷風,谷崎潤一郎,小山内薫,石井柏亭,山本鼎ら,学問,小説,演劇,美術ほか各分野の第一線推進者の協力を得た。興隆する自然主義に対抗し,理想主義的・耽美派的な芸術思想・作品の結集する場として大きな役割を果たした。…

【即興詩人】より


9(18921901)

【帝国美術院】より


1995115退

【ドイツ文学】より


【日本における受容】
 日本におけるドイツ文学の受容は1880年ころから始まる。当時ドイツに留学した森鷗外は現地の文学現象を克明に日本へ伝え,世紀の転換期にかけて登場するシュニッツラーなどの作品をつぎつぎに翻訳紹介した。木下杢太郎がこれをひき継ぎ,その世紀末的土壌の上に〈パンの会〉や〈スバル〉などの耽美的情調の文学が日本に開花した。…

【都市問題】より


︿(1889)︿(1899)(1903)調︿︿(1884)

【原田直次郎】より


87

【フランス文学】より

…いわゆる〈没理想論争〉にからんで,小説が人間をあるがままに描くにはどうすべきかという観点から,とくに自然主義小説が関心の的にされた。森鷗外〈エミル・ゾラが没理想〉(1892)がその一例である。ゾラの考えた〈自然〉は,明治の日本では正当に理解されたとは言えないが,島崎藤村,田山花袋ら,やがて日本の自然主義を形づくる小説家たちは,ゾラやモーパッサンの作品から学ぶところ大きかった。…

【ペンネーム】より



【舞姫】より

森鷗外の短編小説。1890年(明治23)1月《国民之友》に発表。…

【万年艸】より


()

【民謡】より


 



 使1906KunstpoesieVolkspoesie(1907)(1909)

【めさまし草】より


37︿︿

【歴史小説】より


 (1912)(1913)(1914)1915

【ロマン主義】より


()

※「森鷗外」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ


12m7cm()...


コトバンク for iPhone

コトバンク for Android