湯川秀樹(読み)ユカワヒデキ

デジタル大辞泉 「湯川秀樹」の意味・読み・例文・類語

ゆかわ‐ひでき〔ゆかは‐〕【湯川秀樹】

 
19071981181943241949  

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精選版 日本国語大辞典 「湯川秀樹」の意味・読み・例文・類語

ゆかわ‐ひでき【湯川秀樹】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「湯川秀樹」の意味・わかりやすい解説

湯川秀樹
ゆかわひでき
(1907―1981)


()1929419331940195328退

 1932β()

 ββ使

 19401949

 Progress of Theoretical Physics()

 

 195511957

 

1971

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改訂新版 世界大百科事典 「湯川秀樹」の意味・わかりやすい解説

湯川秀樹 (ゆかわひでき)
生没年:1907-81(明治40-昭和56)


1932341137

 392

 1946472491948153319737579β70退

 Hideki Yukawa Scientific Works1979519711954=628141984

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20世紀日本人名事典 「湯川秀樹」の解説

湯川 秀樹
ユカワ ヒデキ

昭和期の物理学者 京都大学名誉教授;大阪大学名誉教授。



生年
明治40(1907)年1月23日

没年
昭和56(1981)年9月8日

出生地
東京・麻布

旧姓(旧名)
小川

別名
筆名=湯川 玄圃(ユカワ ゲンポ)

学歴〔年〕
京都帝国大学理学部物理学科〔昭和4年〕卒,京都帝国大学大学院理学博士課程修了

学位〔年〕
理学博士〔昭和13年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院恩賜賞〔昭和15年〕,野間賞〔昭和16年〕,文化勲章〔昭和18年〕,ノーベル物理学賞〔昭和24年〕,文化功労者〔昭和26年〕,ロモノソフ賞(ソ連科学アカデミー)〔昭和39年〕,プール・ル・メリット勲章(西ドイツ)

経歴
大阪帝大理学部講師となった翌年の昭和9年に中間子理論を発表し、中間子の存在を予言。11年大阪帝大助教授を経て、14年京都帝大教授となり、17〜19年東京帝大教授を兼任。戦後の23年から5年間、米国のプリンストン高等学術研究所とコロンビア大学の客員教授をつとめて帰国後、京大に戻り、28年新設の基礎物理学研究所の所長に就任。45年に京大を定年退職するまで数多くの物理学者を育てたが、この間、滞米中の24年12月には中間子論の研究でノーベル物理学賞を受け、41年には「相対性理論」に対する「素領域理論」を提唱した。一方、平和運動にも情熱を注ぎ、30年に世界平和アピール七人委員会を結成、37年には科学者京都会議を組織したほか36年から4年間、世界連邦世界協会会長。また前立せんがんの手術直後の50年夏京都で開かれた第25回パグウォッシュ会議には車イスで出席、56年6月には15年ぶりに開いた科学者京都会議で、核兵器の廃絶を世界に求めた平和声明を発表した。主な著書に「量子力学序説」「素粒子論研究」「湯川秀樹自選集」(全5巻)「天才論」(全3巻)、自伝「旅人」などがある。

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百科事典マイペディア 「湯川秀樹」の意味・わかりやすい解説

湯川秀樹【ゆかわひでき】

 
1932192919331934β19391947196719431949
μ  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湯川秀樹」の意味・わかりやすい解説

湯川秀樹
ゆかわひでき

 
[]1907.1.23. 
[]1981.9.8. 
 (1929)  (34)  (39)  (42)  (48)  (49)  (53)  1934β36Kπ4737μ4349  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯川秀樹」の解説

湯川秀樹 ゆかわ-ひでき

1907-1981 昭和時代の理論物理学者。
明治40年1月23日生まれ。地理学者小川琢治の3男。昭和10年「素粒子の相互作用について」で中間子の存在を予言。のちこれが実証され,24年日本人初のノーベル物理学賞を受賞する。14年母校京都帝大の教授。一時東京帝大,コロンビア大などの教授をかねた。28年京大基礎物理学研究所所長。核兵器廃絶,世界連邦建設などの平和運動に積極的にかかわった。18年文化勲章。兄に冶金学者小川芳樹,東洋史学者貝塚茂樹,弟に中国文学者小川環樹。昭和56年9月8日死去。74歳。東京出身。
【格言など】未知の世界を探究する人々は,地図を持たない旅人である

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「湯川秀樹」の解説

湯川秀樹
ゆかわひでき


1907.1.2381.9.8

1934(9)373948495355

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「湯川秀樹」の解説

湯川秀樹
ゆかわひでき

1907〜81
昭和期の理論物理学者
東京の生まれ。京大理学部卒。京大・阪大講師を経て1939年京大教授となり,'48年以後,コロンビア大学客員教授などを歴任。'35年理論づけた原子核内の中間子の存在が,のちアメリカの物理学者アンダーソンの実験によって証明され,'43年文化勲章,'49年には日本人として最初のノーベル賞を受賞した。また平和運動にも積極的で,世界平和七人委員会の委員をつとめた。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「湯川秀樹」の解説

湯川 秀樹 (ゆかわ ひでき)

生年月日:1907年1月23日
昭和時代の理論物理学者。日本人初のノーベル賞受賞者
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の湯川秀樹の言及

【京都大学】より

…なかでも戦前〈国家ニ須要ナル東亜ニ関スル人文科学ノ綜合研究〉を目的に設置された人文科学研究所も,戦後は日本部,東方部,西洋部のもとに多くの研究班を組織してヨーロッパ思想史や日本文化史,中国史などのすぐれた共同研究の成果を生み出した。また,湯川秀樹のノーベル賞受賞を記念した湯川記念館を前身とする基礎物理学研究所は,学外者を含めた運営委員会をもつ全国初の共同利用研究所として理論物理学の自由で共同的な発展に貢献している。【田中 征男】。…

【原子力発電論争】より

…すなわちアメリカにおける論争と共通する点が多いので,以下には日本における特徴的な事項について簡単に述べることとする。
[英国炉導入問題]
 1956年原子力委員会が発足したばかりの時,イギリスからコールダー・ホール型原子炉を早期に導入することにより原子力発電の推進を図ろうとした初代原子力委員長正力松太郎の方針に対し,基礎研究の積上げによる自主開発路線を主張する湯川秀樹委員をはじめとする核物理学者が反対し,湯川は結局辞任するにいたった。その後英国炉の早期導入は産業界の支持のもとに強行されたが,その過程で安全性,経済性,行政のあり方など多岐にわたる論争が展開された。…

【水素爆弾】より

…広島・長崎の被爆から10年も経過しないで日本人が水爆の直接被害を受けたことに,多くの日本人は強い衝撃を受けた。湯川秀樹は同年3月末《毎日新聞》に〈原子力と人類の転機〉と題する一文を寄せ,その中で〈原子力の脅威から人類が自己を守るという目的は,他のどの目的よりも上位におかれるべきではなかろうか〉,また〈人類の一員としてこの問題を考える〉と書いた。これはそのまま1年後の〈ラッセル=アインシュタイン宣言〉に受けつがれた(〈パグウォッシュ会議〉)。…

【素粒子】より


[π中間子とμ粒子]
 電気的に中性の中性子がなぜ,原子核という小さな領域に閉じ込められているのであろうか。これに対して1935年湯川秀樹は,質量が電子の約280倍くらいのボース粒子(スピンが整数の粒子),すなわち中間子と呼ばれる粒子を新しく導入し,陽子と中性子がこの中間子を交換することによって核力を生じ,核力によって原子核内に閉じ込められているという理論を提唱した。この理論によれば,実験で知られているように電気的に中性の中性子と陽子の間に力が働くのみでなく,その力が非常に短距離(10-13cm)ではとても強いが,少し離れると非常に弱くなるという性質をうまく説明できる。…

【中間子】より


1935()(1013cm)

【電子捕獲】より

…実際,β崩壊と共存していることが多いが,β崩壊がエネルギーのつり合いから不可能な場合(陽電子の放出には負のエネルギー状態にある電子を正のエネルギー状態へもち上げねばならないので,少なくとも電子質量の2倍に相当する崩壊エネルギーが必要である)には電子捕獲しか起こらない。歴史的には1935年に湯川秀樹と坂田昌一(1911‐70)によってその存在が理論的に予言され,38年にアメリカのアルバレズLuis Walter Alvarez(1911‐88)が初めて実験的に検証した。放出される粒子が中性微子だけであるので,その検出には電子が捕獲され,あいた空孔へ再び電子が上の軌道から落ちるときに放出される特性X線かオージェ電子の観測によらざるをえない。…

【パグウォッシュ会議】より


︿Conference on Science and World Affairs ︿B.A.11︿︿︿1522西

【場の量子論】より

…ここに用いられた相互作用はフェルミ型相互作用と呼ばれるもので,場の相互作用を初めて実際問題に適用したものである。続いて35年湯川秀樹の中間子論が登場する。彼は核子間の力を媒介する力の場を導入し,それの量子としての粒子が存在することを予言した。…

【非局所場理論】より


M.A.(1940)(1948)

※「湯川秀樹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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