デジタル大辞泉
「琴古流」の意味・読み・例文・類語
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きんこ‐りゅう‥リウ【琴古流】
(一)〘 名詞 〙 尺八の流派の一つ。普化(ふけ)宗尺八中興の祖黒沢琴古が明和︵一七六四‐七二︶のころ創始した。明治四年︵一八七一︶普化宗廃宗後盛んになり、都山流とともに尺八の二大流派をなす。
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琴古流
きんこりゅう
尺八の流派名。初世黒沢琴古︵1710―71︶を祖とする。琴古の名は4世で途絶したため、以後宗家はなく、多くの分派家元に分かれている。都山(とざん)流と並ぶ二大流派の一つ。黒沢家は、普化宗(ふけしゅう)両本山︵一月寺(いちがつじ)と鈴法寺(れいほうじ)︶の吹合(ふきあわせ)︵尺八指南役︶を務めた家柄で、江戸を中心に親子三代にわたり繁栄したが、4世︵3世の弟︶は技量優れず、3世の高弟久松風陽(ふうよう)が実質的家元として芸を継承した。初世の門弟宮地一閑(いっかん)から、池田一枝―山田如童―豊田古童―荒木古童と伝わる流れを一閑流とよんだが、荒木は久松にも師事し、事実上再統一され、現在に至る。なお琴古流の名称は18世紀後半に現れるが、一般に使われるようになったのは明治初めの普化宗廃止︵1871︶以後である。初世琴古以来、伝来の本曲(ほんきょく)36曲を軸に、廃宗後確立された三曲尺八︵外曲(がいきょく)︶に多数のレパートリーをもつ。上原六四郎が考案し初世川瀬順輔(じゅんすけ)が普及させた点符式記譜法や、曲線的な装飾を多用した本曲奏法などが特徴である。
﹇月溪恒子﹈
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琴古流【きんこりゅう】
尺八の流派名。江戸中期の初世黒沢琴古︹1710-1771︺を始祖とする。現在,都山(とざん)流とともに,尺八界二大流派の一つ。黒沢琴古は黒田藩士であったが,浪人して虚無僧となり,全国を行脚。のち江戸へ出て普化宗両本山の尺八指南役を勤め,各地の虚無僧寺に伝わっていた尺八曲を整理して,今日の琴古流本曲30余曲を制定。尺八の製作も行った。彼自身,流派は名乗らなかったが,2世︹1747-181︺のころに流としての意識が確立したという。とくに1871年普化宗廃止後三曲に進出することが多く,︿琴古流﹀が唱えられ,荒木古童ほか多くの名人が現れた。
→関連項目尺八
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琴古流
きんこりゅう
いたが,流の名称の確立普及は明治以後。流祖制定の本曲36曲の伝承を基本とするが,明治以後は2世荒木古童が中心となり,三曲合奏を盛んにして流勢を拡張。現在,都山流とともに尺八界を二大分。流の統一組織はなく,各派に分れている。
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世界大百科事典(旧版)内の琴古流の言及
【黒沢琴古】より
…尺八楽琴古流の流祖および宗家代々(4世まで存続)の芸名。(1)初世(1710‐71∥宝永7‐明和8) 本名幸八。…
【尺八】より
…そのころ江戸の虚無僧の中の尺八指南役だった初世[黒沢琴古]︵きんこ︶は,各地の虚無僧寺所伝の尺八曲を収集整理し,編曲して30曲余りの本曲を制定した。これを基に江戸を中心に琴古流と称する芸系(今日まで存続)が生じ,以後,関西その他の地方にもいくつかの流派が生じた。その中では,幕末の大坂で外曲(三曲合奏)を主として活躍した[近藤宗]悦︵そうえつ︶の宗悦流(現存しない),京都明暗︵みようあん︶寺の明暗真法︵みようあんじんぽう︶流,浜松普大寺系統の西園︵せいえん︶流,弘前の津軽藩士のたしなみとなった錦風︵きんぷう︶流(根笹︵ねざさ︶派とも)などがよく知られる。…
※「琴古流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」