20世紀日本人名事典 「益田 玉城」の解説
益田 玉城
マスダ ギョクジョウ
生年 明治14(1881)年1月1日
没年 昭和30(1955)年
出生地 宮崎県都城町
本名 益田 珠城
別名 別号=長久画房
学歴︹年︺ 東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画選科︹明治37年︺卒
経歴 父が旧制都城中学校長を務める厳格な家庭に育つが、画家を志し、同郷の山内多聞と東京に出奔、川端玉章の内弟子となる。明治42年開設された川端画学校教授となり、また女子美術学校講師を兼任、株式会社生秀館図案部長なども務めた。大正4年文展に﹁かの子屋の娘﹂が初入選し、褒状を受賞、以後文展に写実的な美人画を発表。昭和2年の帝展﹁すみだの川すゞ﹂ごろより浮世絵、大和絵的な作品を制作。7年帝展推薦となり、8年第14回帝展﹁現代隅田川風景﹂、9年第15回﹁颯々園情景﹂、13年新文展﹁南の生命線に立てる日本女性﹂など現代女性像を描いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報