福原(読み)フクハラ

デジタル大辞泉 「福原」の意味・読み・例文・類語

ふくはら【福原】

平清盛が一時都を移した地。現在の神戸市兵庫区の福原町あたり。

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精選版 日本国語大辞典 「福原」の意味・読み・例文・類語

ふくはら【福原】

  1. 神戸市兵庫区にある湊川公園の東側の地の古称。治承四年(一一八〇)六月から一一月まで平清盛が京より遷都。明治以後は花街。
    1. [初出の実例]「神無月のころ、福原へくだりて侍りしに、嵐のいたくふき侍りし朝に」(出典:経正集(1182)雑)

ふくはら【福原】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「福原」の解説

福原
ふくはら


()()西()()()退()()()()()殿宿()

()()(())

福原
ふくわら

[現在地名]水沢市 福原

西()()寿寿寿()()()()()()

寿()()()()寿

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百科事典マイペディア 「福原」の意味・わかりやすい解説

福原【ふくはら】

 
()使411806宿111183西
 

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改訂新版 世界大百科事典 「福原」の意味・わかりやすい解説

福原 (ふくはら)

神戸市兵庫区の一部。大輪田泊に接する地で瀬戸内海交通の要衝に位置する。平清盛は福原荘を領有するようになると,ここに別荘(福原山荘,雪見御所などという)をつくり,1168年(仁安3)に出家入道してからは主としてそこに住み,平家一族の別荘も多く営まれるようになった。清盛がこの地に着目したのは,日宋貿易の推進とも密接に関係しており,福原の町づくりと並行して大輪田泊の修築,経ヶ島の築造など港湾施設の整備につとめ,70年(嘉応2)には宋船がはじめて福原まできた。80年(治承4),源平の争乱が勃発すると,6月突如として清盛はこの福原へ都を移した。しかし土地が狭小のため造都が思うように進まず,貴族や寺院勢力のはげしい反発をうけて11月再び京都に還都した。83年(寿永2)平家西国落ちのとき,一門はここに一泊し,翌日,平宗盛は福原の旧宅をすべて焼き払って海上にのがれた。そのさまは《平家物語》の福原落ちの段で有名。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「福原」の意味・わかりやすい解説

福原
ふくはら


()()()()11683退2()()1179311()6()811()1183寿2()西


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「福原」の意味・わかりやすい解説

福原
ふくはら

 
貿4 (1180) 寿2 (83) 西 ( )    

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「福原」の解説

福原
ふくはら

摂津国八部(やたべ)郡(現,神戸市兵庫区)の地名。すぐ南に隣接して古くから瀬戸内海交通の要衝,大輪田泊(おおわだのとまり)があった。永暦・応保年間(1160~63)に平清盛が周辺の兵庫荘・輪田荘などとともに買得,1167年(仁安2)には清盛の別荘が築かれた。以後平家の日宋貿易・西国支配の拠点となった。80年(治承4)6月には清盛の主導で福原遷都が断行されたが,源頼朝の挙兵や叡山大衆の反乱などがあいつぎ,11月には再び京都に戻った。

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旺文社日本史事典 三訂版 「福原」の解説

福原
ふくはら

神戸市兵庫区の旧称。平安末期,平清盛が安徳天皇を奉じて一時遷都した
清盛の別荘があり,また日宋貿易の拠点として修築した大輪田泊 (おおわだのとまり) が近い。1180年,反平氏の動きが激化する中で,清盛が福原遷都を断行。しかし実質的な都城の経営は進まず,わずか半年たらずで再び都は京都に移された。

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