第二帝政(読み)ダイニテイセイ

デジタル大辞泉 「第二帝政」の意味・読み・例文・類語

だいに‐ていせい【第二帝政】

ナポレオン3世が帝位に就いた1852年から、普仏戦争の敗北により消滅するまで、約20年間続いたフランスの帝政。

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精選版 日本国語大辞典 「第二帝政」の意味・読み・例文・類語

だいに‐ていせい【第二帝政】

  1. 一八五二年から七〇年まで続いた、フランス、ナポレオン三世の帝政。普仏戦争によって解体。

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改訂新版 世界大百科事典 「第二帝政」の意味・わかりやすい解説

第二帝政 (だいにていせい)


185212370911804-14

18511225212231852-581859-6918703369186367西1863

 185918606468693

 7012Émile Ollivier1825-1913370582%707199294

1851-73318513600km23000km便55673

 1848626364︿60646069-70

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「第二帝政」の意味・わかりやすい解説

第二帝政
だいにていせい
Second Empire


185131852187020


特徴

第二帝政は、ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)の始めた第一帝政を継承するもので、いわゆる「ボナパルティスム」の一環をなすものである。それは、大きくいって1860年を境に二つに区分され、前者は「権威帝政」、後者は「自由帝政」とよばれる。言論や集会を取り締まり、政府の施策を優先させ、クリミア戦争やイタリア統一戦争に介入したのが前期であり、自由貿易を原則とする英仏通商条約を結び(1860)、労働者のストライキを承認し、万国博覧会の開催やスエズ運河の開通を重視したのが後期である。

[河野健二]

産業化と都市化


20

 184610491018565852186916465殿Péreire1852

 


外交

ナポレオン3世の外交政策は、イギリスとの協調を図りながら、もっぱら後進地域への進出を図るものであった。クリミア戦争でロシアを破り、イタリアに介入してオーストリア軍と戦ったのは、その例である。イギリスとの協調は、1860年に結ばれた自由貿易主義に立脚する英仏通商条約にもっともよく示される。フランスの産業家はこの条約にあまり賛成ではなかったが、国内市場の相互解放をねらったこの条約は、結果としてフランス産業の水準を高め、繁栄に貢献した。

[河野健二]

自由帝政の崩壊

自由主義への傾斜を強めたナポレオン3世は、国会の権限を強化し、新聞に対する検閲を緩和し、1851年にはロンドンの万国博覧会に80人の労働者の代表を派遣し、労働者の自覚を高め、国際的連帯に目を開かせた。1864年には労働者のストライキを認め、処罰の対象としないこととした。しかしこの自由帝政は、中国やベトナム、さらにメキシコへの遠征とは両立することができず、メキシコ遠征失敗後の皇帝は、隣国プロイセンの挑発にのってプロイセン・フランス戦争にのめり込み、敗戦の結果捕虜となって、第二帝政は崩壊した。1870年9月2日のことである。

[河野健二]

『河野健二編『フランス・ブルジョア社会の成立』(1977・岩波書店)』『河野健二著『フランス現代史』(1977・山川出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「第二帝政」の意味・わかりやすい解説

第二帝政
だいにていせい
Second Empire

 
1852122709436 1789 186033360697 (1870.9.2.) 3  

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百科事典マイペディア 「第二帝政」の意味・わかりやすい解説

第二帝政【だいにていせい】

 
1852318601870
 

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旺文社世界史事典 三訂版 「第二帝政」の解説

第二帝政
だいにていせい

フランス帝政

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世界大百科事典(旧版)内の第二帝政の言及

【ネオ・バロック様式】より

…フランスでナポレオン3世の第二帝政の出現(1852)とそのパリ改造計画(1853‐70)を契機として起こったバロック建築様式の復興をいう。ビスコンティLudovico Visconti(1791‐1853)とルフュエルHector M.Lefuel(1810‐81)は,ルーブル宮殿新館でイタリア・バロック風の彫塑的な壁面とマンサード屋根を組み合わせ,これは,いわゆる〈第二帝政式〉として流行した。…

※「第二帝政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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