ナポレオン(英語表記)Napoléon

デジタル大辞泉 「ナポレオン」の意味・読み・例文・類語

ナポレオン(Napoléon)

 

 Bonaparte117691821180418141815179918041814退
[]
Charles Louis  Bonaparte31808187318521870()184818511870退
319271981
1 
2 
3 
4 120  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ナポレオン」の意味・読み・例文・類語

ナポレオン

 

(一)( Napoléon )
(二)[1]
(一)[  ] ( Napoléon I, Napoléon Bonaparte  ) 退
(二)[  ] ( Napoléon III , Charles Louis Napoléon Bonaparte = ) 退
(三)[2]   
(一) 
(一)[](1935︿)
(二) 
(三) 
(一)[](18991902︿)
(四) 
(一)[](1957︿)
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナポレオン」の意味・わかりやすい解説

ナポレオン(1世)
なぽれおん
Napoléon Ⅰ
(1769―1821)

フランス第一帝政の皇帝(在位1804~14、15)。本名ナポレオン・ボナパルトNapoléon Bonaparte。

[井上幸治]

生い立ち


1418Pascal Paoli17251807Buonaparte16西Charles Bonaparte1746851768815

 1779841374285()85


フランス革命


178993179495Paul François Jean Nicolas, vicomte de Barras17551829()296327()197

 179851798調調991011918


第一執政から皇帝へ

1799年の憲法制定の段階からナポレオンは政治の指導権を握り、革命の社会的成果を保証するブルジョア的社会の安定を守るために強力な政府を志向している。その意味で彼は革命の収拾者たろうとし、そこで軍事的独裁体制を樹立する。それがまたフランス社会の政治的課題でもあった。立法機関は四院に分割され、第一執政の行政権が強く、ナポレオンはその専制的権力をもって財政確立のためにフランス銀行を設立し、行政、司法制度を改革し、警察力を強化した。しかしあくまで革命の創出した市民社会の原理を維持するために、1800年から民法典編纂(へんさん)を始め、04年にこれを発布した。すなわちナポレオン法典である。一方、ナポレオンにとって戦争は政治の延長であり、自己の権力維持が戦勝と名誉にかかることを自覚していた。1800年オーストリア軍に対して第二イタリア戦争を起こし、マレンゴの戦勝によってリュネビル条約を結び、ローマ教皇と宗教協約を成立させたが、マレンゴの一戦は国内にくすぶる反ナポレオン運動を制圧した。02年、イギリスとアミアン条約を結び、終身執政となり、スイス、ドイツ諸侯に支配の手を伸ばし、国内では王党派を弾圧し、04年5月、皇帝に推戴され、イタリア王を兼ね、同年12月2日、ノートルダムで戴冠式を行った。第一帝政の開始である。

[井上幸治]

ヨーロッパ征服


18051206161007

 180611180814091809101


没落

1806年から10年にかけて、この間フランス帝国は全盛期を迎え、国内的には経済成長を続け、本来88の県の数も100を超え、ライン川左岸からイタリア北部までを覆うに至り、130県に達した。ナポレオンも40歳前後になると、容貌(ようぼう)は太って鉛色になり、身体には脂肪がつき、青年期の張り詰めた緊張と精悍(せいかん)さを失った。宮廷は旧制度の華やかさを帯び、貴族制も復活し、身辺を追従者が取り巻いた。彼は、征服地には家族や血縁関係のある部将を元首につけ、いわゆる家族体制をつくりあげた。残るものはフランスの同盟国であったが、その一つロシアは1810年末から反仏態度をとり、ナポレオンは国内経済の不況から出兵を延ばしていたが、12年6月、ロシア遠征に出発した。同盟国軍を合して50万を超える軍隊は途中で戦いつつ、9月モスクワに達した。ナポレオンはロシアの焦土作戦に対してなすことなく、10月退却を開始し、遠征は惨たる結果に終わった。13年、スペイン、ロシア、とくにプロイセンにおいてナポレオン独裁に対する民族意識が目覚め、国内改革に取り組むことになり、第六対仏大同盟が民族解放のために結成された。ドイツは、ライプツィヒにおける解放戦争に勝利を収め、14年1月、同盟軍はフランスに侵入し、パリも開城して、4月ついにナポレオンは退位、エルバ島に流された。そのあとブルボン朝のルイ18世の王政復古が行われたが、革命によって得たものを失うことを恐れるブルジョア、農民は、15年3月、エルバから脱出、帰国したナポレオンを歓迎した。しかし、ウィーン会議中の列国はこれに対して出兵し、同年6月、ワーテルローの戦いでナポレオンは敗れ(百日天下)、イギリス艦により南大西洋上のセント・ヘレナ島に流された。随行者数名は彼の口述によって多くの覚書、日記をつくり、21年5月5日ナポレオンは死去したが、その残影は長くフランス社会に生き続けた。

[井上幸治]

『井上幸治著『ナポレオン』(岩波新書)』『アンリ・カルヴェ著、井上幸治訳『ナポレオン』(白水社・文庫クセジュ)』『ジャン・リュカ・デュブルトン他著、日高達太郎訳『世界伝記双書4 ナポレオン』(1983・小学館)』


ナポレオン(3世)
なぽれおん
Napoléon Ⅲ (Charles Louis Napoléon Bonaparte)
(1808―1873)


185270131183132236391()408()442

 184881251121132

 3貿187079Wilhelmshöhe71127319()

 

ナポレオン(映画)
なぽれおん
Napoléon

フランス映画。1927年作品。『鉄路の白薔薇(ばら)』(1927)で知られるフランスのアベル・ガンス監督が、D・W・グリフィスの『国民の創生』(1915)に影響を受けてつくった歴史大作。当初はナポレオンの全生涯を描く全6部の映画が企画されたが、資金不足もあってイタリア征服までの第1部のみ映画化された。サイレント末期のモンタージュ技法を駆使した迫力ある画面構成で、最後の部分には3面スクリーンを使った。主演はアルベール・デュードネAlbert Dieudonné(1889―1976)。1927年にパリのオペラ座で、アルチュール・オネゲルの音楽により5600メートル(4時間10分)のバージョンが初公開された。その後1935年の音声バージョンなど、監督の手で複数のバージョンがつくられた。1980年にイギリスの映画史家ケヴィン・ブラウンロウKevin Brownlow(1938― )が5時間近いバージョンを復元し、フランシス・F・コッポラが再編集した後、父カーマイン・コッポラCarmine Coppola(1910―1991)作曲による音楽を生演奏でつけてニューヨークほか各地で上映した。これは日本でも1982年(昭和57)に上映された。

[古賀 太]


ナポレオン(ブランデー)
なぽれおん
Napoleon


1181153040

 

ナポレオン(2世)
なぽれおん
Napoléon Ⅱ
(1811―1832)

ナポレオン1世とマリ・ルイーズとの子。誕生以来、ローマ王とよばれた。1815年6月の父の退位にあたり、ナポレオン2世を称したが、即位は実現しなかった。母の実家、オーストリアの宮廷で育てられ、18年ライヒスタット公となる。聡明(そうめい)で感受性に富み、周囲より敬愛されたが、結核のため早世。遺体はウィーンのハプスブルク家墓所にあったが、1940年12月、ヒトラーによって、パリにあるナポレオン1世の墓所に移された。

[山上正太郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ナポレオン」の意味・わかりやすい解説

ナポレオン[1世]【ナポレオン】

 
Bonaparte179517991818041814退
18123  
 

[3]

 
1184818511018521860186118671871退
 

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ナポレオン」の意味・わかりやすい解説

ナポレオン
Napoléon

1927年製作のフランス映画。《戦争と平和》(1919),《鉄路の白薔薇》(1923)に次いでアベル・ガンス監督がサイレント映画史に残した傑作として知られ,〈映画的効果の百科事典〉〈サイレント映画に可能なことのすべてを陳列して見せた絢爛豪華な大展覧会〉(ケビン・ブラウンロー評)とまでいわれるように,すばやく,たたきこむように短いカットをつないでスピード感を出す〈フラッシュ・カッティング〉や分割画面,あるいは軽量カメラを馬の背や振子にくくりつけての撮影等々,文字どおりあらゆる映画的技法が〈光の交響楽〉をつくりあげている。さらに3台のカメラで撮影した映像を3面のスクリーンに映写する〈ポリビジョン〉(または〈トリプル・エクラン(三面スクリーン)〉)と命名された映写方式がこの映画のためにガンス自身によって考案され,あるときは一つのイメージが三つの画面にひろがり,またあるときは三つのスクリーンに別々のイメージが映し出され,ラストのイタリア出撃のシーンをはじめ,いくつかのシーンで用いられて圧倒的なスペクタクル効果を上げた。

 しかし,《ナポレオン》と同年にアメリカでは《ジャズ・シンガー》(1927)が公開され,それとともに映画はトーキー時代に突入し,大スクリーン方式への投資は顧みられず,そのため《ナポレオン》はほとんど完全な形で上映されることがなく(アメリカでは上映時間5時間のこの巨編が1時間20分に短縮され,スタンダード版に焼き直されて公開されただけであり,日本でも17.5ミリ版が公開されたにすぎなかった),興行的には惨敗した。ガンスは1934年にステレオ音響によるサウンド版《ナポレオン》を製作,44年,55年,71年にも新しいシーンや台詞や音響を付け加えた改変版を製作した。80年に,前出の映画史家・映画作家ケビン・ブラウンローKevin Brownlowがガンス自身の協力を得て,オリジナル版に近づけた4時間の版を復元,ラスト20分間の〈ポリビジョン〉方式による映写も含んだこの復元版が,フランシス・コッポラの配給でオーケストラの生演奏を伴った〈フィルム・イベント〉として81年から世界中で公開され,その真価があらためて評価された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナポレオン」の意味・わかりやすい解説

ナポレオン
Napoleon

 
 Nap261521511 () 121251AKQJ1092105  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

飲み物がわかる辞典 「ナポレオン」の解説

ナポレオン【Napoléon(フランス)】


ブランデーの熟成期間の長いものに表示する等級の一つ。統一の基準はなく、熟成期間は製造所ごとにことなる。コニャックではブレンドする原酒のうち最も若いものでも7年以上、アルマニャックでは6年以上のものと定められている。◇等級には熟成の浅い順に「VO」「VSO」「VSOP」「ナポレオン」「XO」がある。ナポレオンに待望の男子が誕生した1811年はぶどうの作柄がよく、この年のブランデーに製造元各社が「ナポレオン」と表示したことから、後に長期間の熟成を経たものをいうようになったと伝えられる。

出典 講談社飲み物がわかる辞典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「ナポレオン」の解説

ナポレオン〔映画:1927年〕

1927年公開のフランス映画。原題《Napoléon》。ナポレオン・ボナパルトの前半生を“トリプル・エクラン”と呼ばれる3台の映写機を用いた映像で描く超大作。監督:アベル・ガンス、出演:アルベール・デュードネ、ジナ・マネス、アレクサンドル・クービッキーほか。オリジナルは5時間超の無声映画だが、フランシス・フォード・コッポラ総指揮により約4時間のフルオーケストラ版として再編集されたものが、1981年に公開された。

ナポレオン〔果物〕

サクランボの品種のひとつ。ヨーロッパで古くから栽培されていた品種で、日本には明治時代にアメリカ経由で導入された。果実の大きさは7グラム前後、果皮は帯赤黄斑、果肉はクリーム色、肉質は硬めで加工にも向く。糖度は14%前後、果汁が豊富で甘みと酸味のバランスがよい。国内の主な産地は山形県、青森県、山梨県など。

ナポレオン〔映画:1954年〕

1954年製作のフランス映画。原題《Napoléon》。ナポレオン・ボナパルトの半生を描く歴史スペクタクル。監督:サッシャ・ギトリ、出演:ダニエル・ジェラン、レイモン・ペルグラン、ミシェル・モルガン、ダニエル・ダリューほか。

ナポレオン

2023年製作のアメリカ映画。原題《Napoleon》。監督:リドリー・スコット。出演:ホアキン・フェニックス、バネッサ・カービーほか。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ナポレオン」の解説

ナポレオン

ナポレオン1世

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

栄養・生化学辞典 「ナポレオン」の解説

ナポレオン

 貯蔵年数の長いブランデーにつける名称.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のナポレオンの言及

【サクランボ(桜坊)】より

…主産地は山形県で,日本のオウトウ栽培面積の60%以上を占めている。主要品種には日ノ出,ジャブレー,佐藤錦,高砂,ナポレオン(イラスト)などがある。自家不和合性ならびに他家不和合性があるので,結実確保のため交配和合性品種を受粉樹として混植する必要がある。…

【映画】より

…しかし,シネオラマもオムニ・マックスもラテーナ・マジカも,結局は1回性のイベントとして映画の進歩には直接寄与できぬままに終わっているのが実情である。またマルチスクリーン方式は,開発当初,単一スクリーンという従来の常識的観念から映画を解き放ち,多数スクリーンを動的に駆使することによって,もっとも複雑かつ高次の時間的空間的モンタージュが可能となる未来の映画形式を予告するものとして大きな感銘を与え,劇場用商業映画にもすぐ手法的にとり入れられたが,それは結局単一のスクリーンを2面,3面に分割するという方式でしかなく,その意味でのマルチスクリーンは,すでにサイレント時代から,アベル・ガンスの《ナポレオン》(1927)などで試みられていたものである(ちなみに《ナポレオン》は,いわゆる〈トリプル・エクラン〉すなわち3面のスクリーンを並べて3台の映写機で映写することによって,画面を拡大し映像を多重化するという最初の試みに成功した映画でもあった)。
〔映画産業のしくみ〕

[映画企業]
 映画産業,あるいは映画事業と同義だが,日本では〈企業〉がもっともよく使われ,〈企業内監督〉(映画会社と契約している映画監督)というようないい方がある。…

【ガンス】より

…パリに生まれパリで死去。《戦争と平和》(1919),《鉄路の白薔薇》(1923),《ナポレオン》(1927)の3巨編でサイレント映画の歴史に不滅の足跡を残し,〈映画におけるビクトル・ユゴー〉とも〈ヨーロッパのD.W.グリフィス〉とも呼ばれた。《戦争と平和》《鉄路の白薔薇》では32コマ(サイレント映写で2秒)から1コマまでの極端に短く刻んだカットを編集してせん光のような効果を出し,〈観客と映画とが一体となって興奮する一種発作的感情の激発〉(飯島正)をあおる〈フラッシュ・カッティング〉の技法を創始した。…

※「ナポレオン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ

タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...

タコノキの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android