義兵闘争(読み)ぎへいとうそう

改訂新版 世界大百科事典 「義兵闘争」の意味・わかりやすい解説

義兵闘争 (ぎへいとうそう)


18961905-1418951012西96132退10退

 190507808-0909退14沿


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「義兵闘争」の意味・わかりやすい解説

義兵闘争
ぎへいとうそう
Ǔibyǒng t'ujaeng

 
 () 1316 ( )  191004105207 () 458  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「義兵闘争」の意味・わかりやすい解説

義兵闘争
ぎへいとうそう


()189619051914()()()()()1895()()96110退1905()()1907()14


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山川 世界史小辞典 改訂新版 「義兵闘争」の解説

義兵闘争(ぎへいとうそう)

朱子学的な名分論を土台に,外国(日本)の干渉に反対した朝鮮の武装闘争。閔妃(びんひ)暗殺事件や断髪令(1895年)への反発,日韓保護条約(1905年)対する閔宗植(びんそうしょく),崔益鉉(さいえきげん)の抵抗,韓国軍解散(07年)に対する抵抗などが代表的。

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旺文社世界史事典 三訂版 「義兵闘争」の解説

義兵闘争
ぎへいとうそう

反日義兵闘争

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世界大百科事典(旧版)内の義兵闘争の言及

【朝鮮】より


100使

 34

【マッケンジー】より

…06年再び朝鮮,中国,日本を訪れ,《ベールを脱いだ東洋》(1907)を著した。07年三たび朝鮮を訪れ義兵闘争の取材旅行を行い,日本の対朝鮮軍事支配を告発した《朝鮮の悲劇》(1908)を刊行した。三・一独立運動が起きると翌20年《朝鮮の自由のための闘い》を刊行して,日本の武断統治の実態と独立運動の姿とを伝えた。…

【李朝】より

…その後,親露的政権が樹立され,97年には大韓帝国を名のり,国王は皇帝を称するようになったが,1905年,日露戦争に勝利した日本によって保護条約の締結を強要され,10年にはついに日本の完全植民地とされ,李氏朝鮮王朝権力も消滅した(韓国併合)。 この間,儒学者,両班たちは衛正斥邪の立場から,日本との開国,日本と結んだ近代化や日本の侵略に反対を続け,1896年と1905年には反日義兵闘争を起こした。反日義兵闘争は1907年以降,しだいに大衆化し全国的に拡大したが,思想的には衛正斥邪の影響が強く,近代的改革をめざす都市の運動と結びつくことができなかった。…

※「義兵闘争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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