芦田均(読み)アシダヒトシ

デジタル大辞泉 「芦田均」の意味・読み・例文・類語

あしだ‐ひとし【芦田均】

 
18871959231948退  

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精選版 日本国語大辞典 「芦田均」の意味・読み・例文・類語

あしだ‐ひとし【芦田均】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「芦田均」の意味・わかりやすい解説

芦田均
あしだひとし
(1887―1959)


1912119327退193319401942194510()11()194621619473()619483GHQ1019582

 

19591959198619921987

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「芦田均」の意味・わかりやすい解説

芦田均
あしだひとし

 
[]1887.11.15. 
[]1959.6.20. 
 1948.3.10.1912使使1932退1933402194719483201 194810退  

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「芦田均」の解説

芦田 均
アシダ ヒトシ


肩書
第47代首相,日本民主党総裁

生年月日
明治20年11月15日

出生地
京都府福知山市

学歴
東京帝大仏法科〔明治45年〕卒

学位
法学博士

経歴
外務省に入省、ロシア・フランス・トルコの駐在を経て、昭和7年退官。同年衆院議員に転じ、立憲政友会に属し、以後11回連続当選。戦後自由党の結成に参加するが、22年退党して民主党(旧)を結成、総裁に就任。23年片山内閣のあとをうけ、社会党・国協党と連立して内閣を組織するが、同年10月昭電疑獄事件が起こり、総辞職。のち民主党(新)最高委員、自民党顧問などを歴任。文筆にすぐれ、著書に「世界大戦後の欧州外交史」「君府海峡通航制度史論」「第二次世界大戦外交史」などがある。また「芦田均日記」は戦後政治史の重要資料として知られる。

没年月日
昭和34年6月20日

家族
父=芦田 鹿之助(代議士)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「芦田均」の意味・わかりやすい解説

芦田均 (あしだひとし)
生没年:1887-1959(明治20-昭和34)


退19321133-4029︿4546474837

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20世紀日本人名事典 「芦田均」の解説

芦田 均
アシダ ヒトシ

昭和期の政治家 首相;日本民主党総裁。



生年
明治20(1887)年11月15日

没年
昭和34(1959)年6月20日

出生地
京都府福知山市

学歴〔年〕
東京帝大仏法科〔明治45年〕卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
外務省に入省、ロシア・フランス・トルコの駐在を経て、昭和7年退官。同年衆院議員に転じ、立憲政友会に属し、以後11回連続当選。戦後自由党の結成に参加するが、22年退党して民主党(旧)を結成、総裁に就任。23年片山内閣のあとをうけ、社会党・国協党と連立して内閣を組織するが、同年10月昭電疑獄事件が起こり、総辞職。のち民主党(新)最高委員、自民党顧問などを歴任。文筆にすぐれ、著書に「世界大戦後の欧州外交史」「君府海峡通航制度史論」「第二次世界大戦外交史」などがある。また「芦田均日記」は戦後政治史の重要資料として知られる。

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百科事典マイペディア 「芦田均」の意味・わかりやすい解説

芦田均【あしだひとし】

 
19121932194719487退
201  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「芦田均」の解説

芦田均
あしだひとし

1887.11.15~1959.6.20

昭和期の外交官・政治家。京都府出身。東大卒。外交官試験に合格し,最初の任地ペテルブルクでロシア帝国の崩壊を目撃。満州事変を機にベルギー大使館勤務を最後に辞職,立憲政友会に入党した。「ジャパン・タイムズ」社長に就任。第2次大戦後は日本自由党創立に参画するが,吉田茂とのライバル意識からしだいに離れ,新憲法制定時の衆議院憲法改正特別委員会委員長として,憲法解釈に独自の立場をとる。1947年(昭和22)民主党総裁となり,社会党との連立内閣に外相として入閣。さらに翌年首相となるが,昭和電工疑獄で総辞職においこまれ,晩年は志を得なかった。「芦田均日記」(全7冊)がある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「芦田均」の解説

芦田均
あしだひとし

1887〜1959
昭和期,外交官出身の政治家
京都の生まれ。東大卒業後外務省に入り,1932年衆議院議員。立憲政友会に属し親英米派で軍部に批判的だったため圧迫された。第二次世界大戦後幣原 (しではら) 喜重郎内閣の厚相を経て,自由党創立に参加したが,'47年離党して日本民主党を設立,総裁となり,日本社会党と連立して,片山哲内閣の外相となる。'48年片山内閣総辞職後,社会党・国民協同党と連立内閣をつくり首相に就任。まもなく昭和電工疑獄事件に連坐して半年で総辞職した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「芦田均」の解説

芦田均 あしだ-ひとし

 
18871959 
2011157(11),,22,323,3462071  

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367日誕生日大事典 「芦田均」の解説

芦田 均 (あしだ ひとし)

生年月日:1887年11月15日
昭和時代の政治家。首相;日本民主党総裁
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の芦田均の言及

【疑獄】より


︿ 

【昭電疑獄】より


48623600036

※「芦田均」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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