片山哲(読み)カタヤマテツ

デジタル大辞泉 「片山哲」の意味・読み・例文・類語

かたやま‐てつ【片山哲】

 
18871978221947  

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精選版 日本国語大辞典 「片山哲」の意味・読み・例文・類語

かたやま‐てつ【片山哲】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「片山哲」の意味・わかりやすい解説

片山哲
かたやまてつ
(1887―1978)


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19671980

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20世紀日本人名事典 「片山哲」の解説

片山 哲
カタヤマ テツ

大正・昭和期の政治家,社会運動家,弁護士 首相;日本社会党委員長;民社党最高顧問。



生年
明治20(1887)年7月28日

没年
昭和53(1978)年5月30日

出生地
和歌山県西牟婁郡田辺町(現・田辺市)

学歴〔年〕
東京帝大法科大学独法科〔明治45年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔昭和39年〕,藤沢市名誉市民

経歴
大正2年弁護士開業。キリスト教的社会主義を説いた安部磯雄の社会運動に共鳴、日本労働総同盟、日本農民組合の顧問弁護士として無産運動に力を入れる。この間、7年“1件1円”の大衆法律相談所を開設、9年「中央法律新報」を発行。15年社会民衆党結成の際書記長に就任。昭和5年第2回普通選挙で神奈川2区から衆院議員に当選し、10期。7年社会大衆党書記長となるが、15年軍を批判した斎藤隆夫代議士の除名に反対し、自らも除名となる。戦後、20年11月日本社会党の初代書記長になり、21〜25年委員長。22年連立内閣の首相に就任。経済政策をめぐる左派の突き上げで23年総辞職。28年憲法擁護国民連合を結成し議長。35年民社党結成に合流し最高顧問、憲法擁護新国民会議議長、38年引退。39年護憲アピール十人委員会委員長。40年離党。また31年日中文化交流協会初代会長をつとめるなど日中友好運動にも活躍し、「大衆詩人白楽天」の著書がある。他の著書に「危機突破のため国民に訴う」「民衆の福音」「民主政治の回顧と展望」「女性の法律」など。敬虔なクリスチャンとして知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「片山哲」の解説

片山 哲
カタヤマ テツ


肩書
第46代首相,日本社会党委員長,民社党最高顧問

生年月日
明治20年7月28日

出生地
和歌山県西牟婁郡田辺町(現・田辺市)

学歴
東京帝大法科大学独法科〔明治45年〕卒

経歴
大正2年弁護士開業。キリスト教的社会主義を説いた安部磯雄の社会運動に共鳴、日本労働総同盟、日本農民組合の顧問弁護士として無産運動に力を入れる。この間、7年“1件1円”の大衆法律相談所を開設、9年「中央法律新報」を発行。15年社会民衆党結成の際書記長に就任。昭和5年第2回普通選挙で神奈川2区から衆院議員に当選し、10期。7年社会大衆党書記長となるが、15年軍を批判した斎藤隆夫代議士の除名に反対し、自らも除名となる。戦後、20年11月日本社会党の初代書記長になり、21〜25年委員長。22年連立内閣の首相に就任。経済政策をめぐる左派の突き上げで23年総辞職。28年憲法擁護国民連合を結成し議長。35年民社党結成に合流し最高顧問、憲法擁護新国民会議議長、38年引退。39年護憲アピール十人委員会委員長。40年離党。また31年日中文化交流協会初代会長をつとめるなど日中友好運動にも活躍し、「大衆詩人白楽天」の著書がある。他の著書に「危機突破のため国民に訴う」「民衆の福音」「民主政治の回顧と展望」「女性の法律」など。敬虔なクリスチャンとして知られる。

受賞
勲一等旭日大綬章〔昭和39年〕 藤沢市名誉市民

没年月日
昭和53年5月30日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「片山哲」の意味・わかりやすい解説

片山哲 (かたやまてつ)
生没年:1887-1978(明治20-昭和53)


19122026304046474482516019545666

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「片山哲」の意味・わかりやすい解説

片山哲
かたやまてつ

 
[]1887.7.28. 
[]1978.5.30. 
19264045114751613調484250555460退  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「片山哲」の意味・わかりやすい解説

片山哲【かたやまてつ】

 
19191926194619471960
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「片山哲」の解説

片山哲
かたやまてつ


1887.7.281978.5.30

1926()30324024547139退63退65

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片山哲」の解説

片山哲 かたやま-てつ

 
18871978 -
20728,5(10)20,225353090  

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旺文社日本史事典 三訂版 「片山哲」の解説

片山哲
かたやまてつ

1887〜1978
昭和期の政治家
和歌山県の生まれ。東大卒。東大キリスト教青年会館に法律相談所を開き,以後キリスト教社会主義を理想とした。1946年日本社会党初代委員長となり(〜'50),この間 '47〜48年連立内閣の首相をつとめた。'60年民主社会党結成に参加,党最高顧問となった。

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367日誕生日大事典 「片山哲」の解説

片山 哲 (かたやま てつ)

生年月日:1887年7月28日
大正時代;昭和時代の政治家;社会運動家。首相;社会党委員長
1978年没

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世界大百科事典(旧版)内の片山哲の言及

【社会民衆党】より

…結党後,左派の門戸開放運動がすすみ地方を中心に左派が党内に進出してくると,総同盟や官業労働総同盟など右派勢力の代表は同党を脱退し,安部磯雄,吉野作造,堀江帰一の呼びかけに応じるというかたちで,同年12月5日に社会民衆党を結成した。その方針は,現実主義,反共主義,合法主義の社会民主主義路線を旗印に,総同盟,官業労働総同盟,全日本農民組合総同盟などを主要基盤とし,委員長に安部磯雄,書記長に片山哲(1930年から赤松克麿)が就任した。同党は28年の初の普選による総選挙で片山,鈴木文治,西尾末広,亀井貫一郎を,30年選挙で西尾,片山を,32年選挙で安部,亀井,小池四郎を当選させ,組織的には左派や中間派無産政党に比較して安定していた。…

【自由法曹団】より

…民衆運動弾圧事件の犠牲者への積極的な弁護・支援活動にあたってきた弁護士の団体。神戸の川崎・三菱神戸造船所争議の調査を契機に,1921年山崎今朝弥,布施辰治,上村進,片山哲ら数十名によって結成され,亀戸事件や多数の労働争議・小作争議に関与した。26年の無産政党分裂で団の統一的活動が困難となり,さらに三・一五事件等の公判方針をめぐり左翼弁護士間の統一も崩れたが,個人の団を自称した活動が行われた。…

【日農】より


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※「片山哲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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